【うつ体験談】「うつ」は私にとって“転機”でした。-40代 女性(前編)

10,323 views

一念発起した待望の転職から
「パニック障害」「自律神経失調症」へ

私は30歳の時にそれまでの仕事を辞めて、1年間イギリスの大学院に留学しました。大学では語学を専攻していましたが、やはりヨーロッパで生まれ育った人々に混じって英語でコミュニケーションするのは大変でしたね。グループワークの授業では「あなたは話すのが上手くないから、プレゼンしないで。いい成績を取るために我慢してほしい」と、はっきり言われたこともあります。言葉だけでなく、そうした文化の違いにも苦労しました。

日本に戻ってからはPR会社に就職し、PRプランナーとして働きました。変化に富んだ面白い仕事ではありましたが、常に忙しい環境、かつ難しいクライアントを担当させられることも多く、気苦労は絶えなかったです。

「人柄やスキルを買われたんだ」と前向きに捉えようと努めたのですが、2年ほど経ったある日、自律神経失調症とパニック障害を発症してしまいました。

 

電車に乗るたびに激しい動悸、不安
各種検査でも異常は見当たらず…

最初に症状が出たのはある晩、電車で帰宅している時のことでした。突然、「こんなにたくさん人がいて、どうしよう」という不安に襲われ、動悸がして、耐えられなくなったんです。ちょうど、難しいお客さんの仕事が片付いて「やっと終わった…」と思った瞬間でした。次の日から、電車に乗るたびに動悸がするようになって、すぐに降りられる各駅停車にしか乗れなくなりました。

食欲も落ちて、それから4か月で7キロほど痩せましたが、不思議と私には「自分がストレスでダメージを負っている」という自覚が全然ありませんでした。 病院で内視鏡検査を受けたりもしたのですが、何の異常も見つかりませんでした。

最後に「精神的なものでは?」と言われて、心療内科に行ってみたら「自律神経失調症」と「パニック障害」と診断されたんです。そこで出された抗うつ薬を飲んでみたら、あっという間に症状が消えました。電車も全然怖くなくなり、ご飯も食べられるようになったんです。その後、4年ほど抗うつ剤を飲みながら仕事を続けました。

 

同棲、アレルギー疾患、震災、仕事
重なってしまった様々なストレス

その後しばらくして、恋人(現在のご主人)と一緒に暮らすことになりました。気ままな独り暮らしから、他人との共同生活へ。そのことは私にとって、かなり大きなストレスとなりました。いくら好きな相手とはいえ、お互いの生活のパターンの違いなどで、すごくイライラしたんです。また、同棲を始めるにあたって引っ越したのですが、新居の近くで自分に合った医療機関を見つけられなくて、しばらく通院をしていませんでした。

それと、同時期に持病であるアレルギー疾患が急激に悪化しだしたんです。大学時代にもひどく悪化して辛い思いをしたのですが「あの時のようになってしまうかもしれない」という不安から、気持ちも大きく落ち込んでしまいました。そんなタイミングで、東日本大震災が発生。

おまけに、仕事は相変わらずキツい
重なったストレスから自律神経失調症やパニック障害の症状も日に日に悪化し、ついに、駅のホームで「ここで電車に飛び込んだらラクだろうな」なんて考えるようになってしまいました。

休職するも、回復せずに退職へ
悩ましかった「リハビリの場」探し

医師に「抑うつ状態」と診断されて、上司に休職を申し出ました。「3か月程度は休んでいい」と言われて休みましたが、アレルギー疾患も改善の兆しが見られず、職場に戻る気力も湧いてきませんでした。

結局、決められた期間で復帰することができず、会社を退職することになりました。 通院していた心療内科では休職者向けの復職支援サービスも提供していたのですが、私の場合は退職してしまっていたので、利用することができません。

一方、医師からは、再就職に向けたリハビリとして図書館に通うことを勧められたものの、「一人で図書館に行ったところで…」という思いがあって、やる気が起こりませんでした。そこで「私でも利用できるサービスがないか」とネットを検索し、見つけたのがリヴァでした。

 

後編に続く

▶ リヴァトレについてもっと知りたい方は、こちらから
この記事をシェアする
この記事を書いた人
野村 京平 株式会社あどアシスト コピーライター

1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。

Web:https://www.ad-assist.co.jp/

トップ
トップ