「憧れを仕事に」。都会の安定を捨て、地域おこし協力隊から職人の道へ【イキカタログ ~自分らしい生き方対談~ vol.10 鍛冶職人・菊池祐さん】

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リヴァトレで提供している、地域生活体験プログラム「イキカタサガシ」の新たな舞台、高知県四万十町。そこで出会ったのが、かねてより職人に憧れ、大手企業から大胆にキャリアチェンジした鍛冶職人、菊池祐さん(写真右)です。豊かな自然と伝統が息づく四万十で、菊池さんはどのようにして地域に根ざした生き方を実現したのか。その道のりについて、リヴァ代表の伊藤崇(同左)が話を聞きました。

プロフィール:菊池 祐(きくち ゆう)

神奈川県横須賀市生まれ。工業高校卒業後、大手重工会社に就職し、技術者として順調なキャリアを築くも、2015年に地域おこし協力隊として高知県四万十町へ移住。その後、鉈(なた)を専門とする「土州勝秀 勝秀鍛冶屋」に弟子入りし、鍛冶職人として修行を重ねる。協力隊卒業後、2019年には夫婦で工房を開設し、「土州勝秀 勝秀鍛冶屋」の三代目として、鍛冶の技術を磨きながら、地域に根ざした鉈(なた)の可能性を模索している。

30歳目前、“このままではいられない”
大手企業を飛び出し、鍛冶職人を目指すまで

伊藤:高知県に移住する前はどんな仕事をしていたんですか?

菊池:工業高校を卒業して、大手重工会社に就職しました。特にやりたいことがあったわけじゃなくて、有名な会社だからっていう理由なんですが。現場の作業員として、図面通りに金属を削る機械加工の仕事だったんですが、やることは毎日違うし、難しい。それが面白かったですね。

伊藤:仕事は楽しんでやられてたんですね。

菊池:そうですね。でも、仕事に慣れて後輩も育ってきたころ、このままでいいのかなって思うようになったんです。大きな変化もないまま、給与だけ上がって定年まで過ごすのはどうなんだろうって。漠然と30歳を超えちゃうと安定を手放せなくなりそうな気がしたので、その前に仕事を続けるかどうか判断したいと思ってました。

伊藤:そこから鍛冶職人の仕事にはどうやって出会ったんですか?

菊池:作業員として現場で働いていると、実際にいちばん技術が高いのは、大きな企業からの依頼を受けて精密な加工や製造を担っている、小さな町工場の職人さんたちだと分かるんです。その人たちの腕がなければ、自分たちの現場の仕事は成り立たない。だから「職人さんってかっこいいな」という憧れを持っていました。

伊藤:もともと職人さんへの憧れがあったんですね。

菊池:そうなんです。そんな中、29歳の時にネットで高知県四万十町の地域おこし協力隊の募集を見つけました。「鍛冶屋を地域に残していくための後継者になりませんか?」という呼びかけに惹かれて。

伊藤:すごい偶然ですね!

菊池:地域おこし協力隊の制度自体を知らなかったので、調べてみたんです。そしたら、お給料をもらいながら3年間、現役の職人さんに学べると分かって。職人を目指すなら、無給で何年も弟子入りするしかないと思っていたので、こんなに恵まれた機会はないと、すぐに問い合わせました。

伊藤:そこからすぐに移住が決まったのでしょうか?

菊池:いえ、実は応募こそしたのですが、一度は辞退しているんです。2月に面接を受けて、4月から仕事という話だったんですが、当時の職場での引き継ぎを考えると、あまりにも急すぎて。とはいえ面接だけでも、と言われて高知に行ったところ「翌年の4月からに変更したら来れますか?」と提案してもらえて。そのおかげで1年間しっかりと仕事の引き継ぎをしたうえで、高知へ移住ができました。

答えがない職人の世界
少しずつ見出した、四万十で鍛冶屋を継ぐ意味

伊藤:弟子入りした「勝秀鍛冶屋」では、具体的にどんなものを作っているんですか?

菊池:林業や狩猟などの山林で働く人たちが使う、「鉈(なた)」を主に作っています。木を切る時に使う「腰鉈(こしなた)」や、狩猟で獲物を解体する際に使う「剣鉈(けんなた)」を中心に、依頼があれば包丁など刃物類の修理もしていますね。

伊藤:鍛冶屋で「鉈」をメインに作っているのは、なかなか珍しいですよね。

菊池:そうなんです。そもそも四万十町にはかつて9軒ほど鍛冶屋があったんですが、今は「勝秀鍛冶屋」だけになってしまいました。100年以上前から続く「自由鍛造」という伝統的な技術を受け継いでいるのですが、全国的にもこの方法を続けている鍛冶屋は1割に満たないんじゃないかと思います。

伊藤:貴重な技術なのですね。どんな特長があるんでしょうか?

菊池:刃は機械に頼らず、熱した鋼を手打ちで鍛えて仕上げるので、刃本来の力を最大限に引き出せます。また、使いやすさを優先するため、柄(え)や鞘(さや)の部分も自分たちで手作りしています。一般的には木工職人さんに依頼する場合が多いんですが、そうすると刃を柄や鞘に合わせる必要が出てきて、刃の力を最大限には生かしきれないんですよね。私たちは木材も刃に合った品種や形を選び、調達・加工まで行っています。そうすることで、刃と柄、鞘が一体となった使いやすい鉈が完成するんです。

伊藤:すべてが手作りなんですね。菊池さんが師匠の技術に惚れ込んでいることが伝わってきました。いざ弟子入りをしてみて、どんなことが大変でしたか?

菊池:最初のうちは、何をどう学べばいいのか全くわかりませんでした。前の仕事なら図面通りに作ることが正解でしたが、この世界では「答え」は師匠の頭の中にしかない。しかも、師匠自身も弟子を取るのがはじめてだったので、言葉で説明するのも難しそうで。聞いたら答えてくれるけど、何を質問すればいいかもわからなくて、とにかく師匠の隣に張り付いて作業を見るという日々が続きました。

伊藤:「背中を見て学べ」とはいいますが、大変なことですよね。

菊池:でもある時から「ちょっとトイレ行ってくるから、それまでこれを叩いて伸ばしておけ」とか、「今日は病院に行かなきゃいけないから、その間これをやっておいてみろ」と、少しずつ作業をさせてもらえるようになったんです。おそらく、師匠がそばにいるとやりにくいだろうと気遣ってくれてたんだと思います。

伊藤:まずは見倣って、実際に作りながら正解をすり合わせていったんですね。

菊池:そうですね。自分の作品にきちんとした値段を付け始めたのは、ここ2年くらいです。最初は、地域の人に知ってもらうために、道の駅や地元のイベントで、師匠が作ったものの隣に自分の作品を並べて、少しずつ買ってもらうことから始めました。

伊藤: やはり、この地域の人に買ってもらえることが大事なんですか?

菊池:もちろんです。それは四万十で鍛冶屋をやる意味の一つでもありますから。外向けにも販売していますが、いくら外で売れても、地元の人に「いいね」と言ってもらえないものは作りたくない。四万十で山仕事をしている人たちに評価してもらえたものを、広く知ってもらいたいと思ってます。

伊藤:移住となると、人間関係の不安を抱える方も多いと思いますが、どうやって地域の人との関係を築いていったのでしょうか?

菊池:お祭りや草取り、どんなイベントでも最優先で参加しました。当たり前のようですが、地域の人と同じように動くことが大事だなと。「仕事があるから」と断って、たまに休みのときだけ顔を出すような付き合い方をしていると、「楽なときだけ来る人」という印象を持たれてしまいますから。師匠にも最初に「地域に関わるならしっかり関われ。中途半端に関わるくらいなら、いっそ関わらないほうがいい」と言われました。最初は多少無理をしてでも、自分から積極的に動くことが大事だと思います。

迷いながらも向き合う、憧れの仕事
地域に根ざした生き方の未来とは

伊藤:憧れていた職人の仕事、実際にやってみてどう感じていますか?

菊池:すごく面白いですよ。新しいものを作るたびに、確実に前より良いものができていると感じます。1か月前の作品を見返すと、気になる部分が見つかって、自分の成長を実感できるんですよね。それに、僕は師匠の技術は日本でもトップクラスだと思っていますが、本人は「自分はまだまだ半人前だ」と言っていて。次に作るときは前よりもいいものを作れる、そう思いながら技術を磨いていくのが楽しいです。

伊藤:今後についてはどんな風に考えていますか?

菊池:「勝秀鍛冶屋」という名前をもっと広めていきたいですね。以前は、こんなにすごい技術を持っているのに、ネットで検索してもほとんど情報が出てこなくて、電話番号さえ見つからない。この地域の人しか知らないブランドだったんです。

伊藤:それはもったいないことですね。

菊池:鉈という道具を取り巻く環境は、今後ますます厳しくなると思います。鉈を作る鍛冶屋は、林業でなたを使う人の減少以上の速さでどんどん減っている。でも、だからこそ逆にチャンスがあると思っています。ホームセンターで売っている量産品とは明らかに品質の差があるので、一度使ってみてほしいです。あと、海外には鉈という道具自体が存在しないので、海外の方に実際に使ってもらえれば、ナイフとの違いを感じてもらえて、活用の可能性があるんじゃないかとも考えています。

伊藤:海外にもチャンスがあり得るとなると、広がりにワクワクしますね。

菊池:でも僕自身、商売の部分は正直まだ苦手で。1カ月に作れるのは 多くても15丁くらいですから、夫婦二人の時給として換算すると以前の仕事よりもだいぶ低くて。 生産量を上げるとか、価格設定を見直すとか、そうしたことも考えなきゃいけないんですが、技術も守りながら、そのあたりのバランスを取っていくのはまだまだ難しくて、悩ましい限りです。

伊藤:職人としてそこまで網羅していくのはなかなか難しいことですよね。

菊池:知ってもらうという意味では、関東あたりで鍛冶屋教室を開けたら面白いかなとかも思ってるんです。ただの体験の場だと面白くないから、教習所みたいにステップアップできる仕組みを作るとか。自分みたいに職人の仕事に少しでも興味を持っている人に届いたらいいなと思ったりもします。でも、鍛冶屋って音とか煙、においが出るから、広い畑の真ん中とか、そういう場所じゃないと難しいんですが(笑)

伊藤:それは面白そうですね!僕も話を聞いてこの技術を多くの人に知ってもらいたいと思ったので、何か力になれたら嬉しいです。最後に改めてにはなりますが、菊池さんはここ四万十で鍛冶職人になって良かったと感じていますか?

菊池: そうですね、良かったです。でも自分の性格からして前の会社に残っていても「いまが最高」と思っていたかも。給料が安定していて、休みもちゃんとあって、いろんなところへ旅行に行く余裕もあったかもしれない。どちらを選んでも正解だと思いますが、憧れを形にするために一歩踏み出せてよかったと思いますよ。

伊藤:どんな道であれ、肯定できる考え方が素敵ですね。都会での暮らしに疲れて、田舎で新しい生き方の可能性を探っている方に、何か伝えたいことはありますか?

菊池:仕事を辞めるって、そんなに簡単なことじゃないと思います。でも、昔に比べて仕事を変えることへの抵抗感が少なくなってきているのは、いい流れですよね。ただ、田舎に移住したからといって、必ず癒される生活が待っているわけじゃない。人との関わりが強いからこそ苦しくなることもありますし、一か八かみたいなところはどうしてもあります。

でも迷っているなら、一回田舎に住んでみるのはいいと思うな。環境が大きく変わることは、自分を変えるきっかけになるかもしれないから。いま、自分の生き方に悩んでいる人は、これまでとことん悩んできたと思うんです。だからこそ、「もう十分考えたはず。時間は貴重だから、違和感があるなら小さくても一歩踏み出してみて」と伝えたいですね。

伊藤:これからの話をしている菊池さんがすごく生き生きしていて、私もパワーをもらえました。本日はどうもありがとうございました!

「いつもとちょっと違う自分」に出会う体験 ~イキカタサガシ~

弊社が運営している「リヴァトレ」では、菊池さんが活動する高知県四万十町を舞台に「イキカタサガシ」という地域生活体験プログラムを提供しています。

メンタル不調で休職・離職されている方々の復帰をサポートする我々は、休職・離職期間を生き方を見直すチャンスと捉え、ただ職場に「戻る」のではなく、自分らしい生き方に気づき、なりたい方向に「進む」サービスを届けてきました。その一環として提供しているのが「イキカタサガシ」プログラムです。

既存の人間関係やしがらみを手放し、環境を変えて新しい人間関係を築いたり、異なる価値観に触れることができ、生活圏から通う復帰支援サービスでは実現できない「ゼロから自分と、生き方と向き合うこと」ができるのが最大の魅力です。

   

<イキカタサガシ 参加者の声>

  • それほどお金をかけなくても、楽しいことは自分で生み出せると感じた。
  • 都会とは違う、不便さを補うコミュニティでお互いに助け合っていく生き方を発見した。
  • 人のためだけでなく、自分の心と体に正直に生きていきたいと思った。
  • やりたいと思い描いてもチャレンジする前に、諦めていたことに気づいた。地域で出会った人のようにやりたいと思ったことに挑戦してみたい。
 

都会から離れた土地で、ちょっとだけ違う自分になって、「いつもの自分スパイラル」から脱出してみませんか?

「イキカタサガシ」に少しでも興味を持ってくださった方は、ぜひリヴァトレまで気軽にお問い合わせください。

リヴァトレの詳細・お問い合わせはこちらから

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この記事を書いた人
伊藤 崇 株式会社リヴァ 代表取締役

1978年宮城県生まれ。大手システム会社でエンジニアとして勤務後、障害者就労支援会社に転職。多くのうつ病患者を生み出す企業や社会への疑問と関心から2010年8月にリヴァを設立、現在に至る。

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