リヴァトレ仙台(2019年4月オープン)の面談室で爽やかな杉の香りを漂わせている自慢のテーブル。その素材となる杉の木の切り出しから木工所さんの手配まで、すべてを担ってくださったのが、6次産業化プランナーの森優真さん(写真左)です。横須賀で生まれ育った森さんは、なぜ石巻で生きることを選んだのか。その“自分らしい生き方”の秘密について、リヴァトレ仙台センター長の吉田淳史(同右)が聞きました。
目次
漁師さんの言葉で気づいた
1次産業の衰退が招く課題
吉田:石巻に来られる以前はどんな仕事をされていたんですか?
森:使用済み食用油からバイオ燃料を作る「食品リサイクル事業」などに取り組む会社で働いていました。仕事の傍ら、週末は環境教育NPOのスタッフとしてボランティア活動もしていましたね。
吉田:環境問題への関心が強いんですね。
森:海沿いの町で育ったこともあって、自然や環境にはずっと興味がありました。ダイビングも好きで、国内各地の離島を訪ねたりもしましたし。
吉田:へぇ、いいですね。
森:でも各地で漁師さんたちと話すと「いかに漁業が衰退しているか」という話ばかり耳にするんですよ。奄美大島では「漁業の衰退で魚を加工する仕事なども減り、島全体の活気が失われている」と聞きました。
吉田:なるほど。1次産業の衰退が、地域全体の衰退につながるんですね。
森:そうなんです。漁業が廃れるとやがては街が消えて、我々もダイビングを楽しむことが難しくなるかもしれないなと。そう考えるうちに漠然と「漁業の活性化に貢献できないかな」と思うようになりました。それが20代半ば頃のことですね。
吉田:石巻に来たきっかけは?
森:東日本大震災の復興ボランティア活動です。震災からしばらくして、石巻では漁業権を企業に付与する特区がつくられたんですよ。従来、漁業権は世襲で継承されることがほとんどでしたから、すごく先進的な施策といえます。そうした流れを受けて、若手の漁師集団による新しい取り組みが始まったり。
吉田:確かに、東京でもそうした取り組みに関するニュースに触れることが多かったように思います。
森:それで僕も「石巻なら、やりたかったことができるんじゃないか」と考えるようになったんです。しばらくは東京で開催される復興支援イベントを訪ねて情報収集をしていたんですが、震災から3年ほど経ったある時「6次産業化地産地消推進センター」というのがオープンすることを知りまして。そこに就職する形で、石巻に移住しました。それが2014年11月、33歳の時でした。
吉田:かなり勇気が必要だったでしょうねぇ。
森:そうですね、東北には縁もゆかりもありませんでしたし、仕事を辞めて来るわけなので。ただ、その時はまだ独身で、親から反対されることもありませんでした。自分の中で「エイヤッ」と踏み出す覚悟をするのが、一番のハードルでしたね。
「ヨソ者」への逆風を乗り越え
ゴミだった牡蠣殻で地域を変える
吉田:石巻に移住してからの活動について聞かせてください。
森:まず取り組んだのは、地域の人々との関係構築ですね。仕事では主に農林漁業者の方々と接するわけですが、サービス業などと違って口下手な方も少なくありません。早く土地勘を身に付けたかったこともあり、とにかく農家さんや漁師さんのところへ足繁く通うことにしました。
吉田:県外出身者ということで苦労されたことは?
森:「ヨソ者」ならではの逆風は少なからずありましたよ。初めて訪ねた会社で、3時間ほど説教されたこともありましたし。
吉田:「説教」ですか?
森:震災後はボランティアに紛れて、火事場泥棒のような連中もたくさん入ってきたらしく、県外からの移住者に警戒心が高まっていたんでしょう。そこへ移住したばかりで右も左も分からない状態の僕が行ったので、怪しまれたんでしょうね。
吉田:そんなことが続いたら精神的にキツいだろうなぁ…。
森:でもいろんな人と会ううちに、少しずつ活動のコツが分かってきました。石巻のような狭いエリアで活動するなら、最初に人脈のあるキーマンのところへ挨拶に行って、自分の人となりや活動の目的を理解してもらうことが大切。それができれば「この人に会いに行くといいよ」と紹介してくれたりして、人脈が一気に広がっていくんです。
吉田:自分もいま仙台の方々との関係構築に取り組んでいる最中なので、よく分かりますよ。人脈の広がっていくスピード感は、大都市では味わえない、地域ならではの魅力ですね。ところで、森さんが取り組んでいる「6次産業化支援」とは?
森:非常に幅が広いんですが、いまは特に「牡蠣殻リサイクルを軸にした経済循環の構築」にチャレンジしています。石巻は牡蠣養殖が盛んですけど、殻の処理をする公的施設がないので、高い処理費用を支払ってゴミに出さざるを得ない。そんな漁師さんたちの悩みを聞いて「地域内でうまく利用して新たな収益源にできないか」と考えたんです。
吉田:つまり「コスト」を「利益」に変えるということですか。
森:その通りです。まず漁師さんから牡蠣殻を引き取り、田んぼに撒く肥料として農家さんに販売する。もちろん、買ってもらうだけでは農家さんはコストが膨らむだけですが、その肥料で育てたお米をブランディングして高く売ることができれば、投資を上回るメリットが得られる可能性があるでしょう。
吉田:きちんと「出口」を用意しておくわけですね。いいアイデアだなぁ!
森:収穫したお米は「牡蠣殻米」と名前を付けて、都内で試食イベントを開いたりしています。先ほどお昼に召し上がっていただいたのも、この牡蠣殻米です。
吉田:あのご飯は甘みと粘り気が強くて、感動するほど美味しかったです。漁業と農業のコラボレーションで生み出した産品を、ブランド化して消費者に届ける。まさに1+2+3の6次産業ですね。
森:一方で、今後は林業も絡めていきたいと考えています。ダイビングをしていた頃に実感したんですが、豊かな海を持つ地域は、陸の生態系も豊かなんですよ。逆に山が荒れてくると沢の水が枯れて、そこから栄養をとっていた海の貝などが痩せてしまう。だから僕は「海と里と山を一緒にデザインしてみたい」と考えていて、地元の方から借り受けた山林で林業にチャレンジしているわけです。
吉田:リヴァトレ仙台のテーブルやイスも、その山林で育った杉の間伐材で作ってもらいましたが、いい香りがするし、すごく気に入っています。
森:今回リヴァさんにテーブルを提供させてもらったことは、とてもありがたく思っています。もちろん、家具屋さんになりたいわけじゃないんですけど(笑)。リヴァトレの利用者さんたちに石巻へ足を運んでいただき、森林浴を楽しんでもらうとか。この地域の自然に触れてもらうきっかけになれば嬉しいです。
厳しくも豊かな自然に触れる中で
本来の「自分らしさ」を取り戻した
吉田:リヴァでは「自分らしく生きるためのインフラをつくる」というビジョンを掲げて、その実現を目指しています。私たちから見ると森さんってすごく自由に生きているように見えるんですけど。人が自分らしく生きるためには、どんなことが必要だと思いますか?
森:抽象的な答えになりますが、「自分のDNAの声を聞く」みたいなことですかねぇ。1次産業に関わっていると、よく感じるんです。畑の土に触れたり、切りたての木の強い香りを感じたりしているうちに「自分の細胞が活性化してるな」と。生物の命に五感で直に触れるような瞬間があるんですよ。
吉田:「命に直に触れる」…すごい感覚ですね。
森:例えば、何かを食べるということは「動物や植物の死を自分の生に変換していく作業」じゃないですか。僕も都会で暮らしていた頃は毎日、誰がどこでどう作ったか分からないものを食べていたわけですが、それがいかに不自然なことだったのかと、こちらに来てからよく考えるんです。いまは自分が口にする食材を誰が作ったか、8割くらい言えるんですよ。そうして暮らしていると、人間が決めた小さいことなんてどうでもよく思えてくるんですよね。
吉田:自然の循環の中に入ったような感覚…でしょうか。
森:そうなんです。そして、本来自然の一部であった人間が自然と隔絶して生きていることがいかに不自然か…そんなことを肌で理解できた時に、自分らしさを取り戻せたように思うんです。
吉田:深いですねぇ。私は将来的に、東京のリヴァトレ利用者さんたちと石巻をつなぐような仕組みもつくれたらいいなと考えています。さっき、お昼に剥いたばかりの牡蠣にレモンを絞って食べたら「ああ、海の味がする!」って実感したんですけど。ああいう小さな体験も、人生を見直すきっかけになるんじゃないかと思うんですよね。
森:そうかもしれません。テレビやスマホで見て想像するのとは、味も香りも全然違いますからね。
吉田:山から丸太(リヴァトレ仙台のイスに使用)を運んだのも、いい経験でした。もちろん疲れるんですけど、オフィスで1日働いた疲れとは違う、心地のいい疲れなんですよね。
森:こういう疲れに身を任せて寝たら、夜はぐっすり眠れますよ(笑)。
吉田:森さんに協力していただいて、リヴァトレ仙台で使うベンチをみんなで作るワークショップとかやりたいなぁ。
森:ぜひやりましょう。なんでもお手伝いさせていただきますよ!
吉田:宮城県へ移住して活躍されている先輩として、森さんの存在はすごく頼もしいです。これからも末長くお付き合いさせてください!
森:こちらこそ、よろしくお願いします。
1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。
Web:https://www.ad-assist.co.jp/