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対談

2018.12.27

「すべてを失って、僕の世界は広がった」【イキカタログ 〜自分らしい生き方対談〜 vol.4 海外サッカー道場破り1勝15敗・菊池康平さん】(前編)

プロサッカー選手を目指して「海外サッカー道場破り」に挑み続ける菊池康平さん(写真左)は「自称・日本一海外プロリーグで挫折を味わった男」。プロとして活躍しても大金や名声が得られるわけではない“サッカー後進国”で、菊池さんが無謀ともいえるチャレンジを繰り返す理由とは。リヴァ代表の伊藤崇(同右)が聞きました。

プロフィール
菊池康平 (キクチ コウヘイ)
1982年東京都生まれ。学生時代から夏期休暇などを利用して海外のプロサッカーチームへの入団に挑戦し続ける。2008年、13か国目のボリビア(サンタクルス州1部リーグ/UNIVERSIDAD)でプロ契約を果たす。2014年に9年間勤めた株式会社パソナを退職。現在は同社のスポーツメイト事業におけるアスリートのキャリア支援や『東洋経済オンライン』『KING GEAR』でのライター活動、海外での経験談を語る講演活動などに取り組んでいる。

サッカーを我慢して中学受験
合格するもストレスで不登校に

伊藤:菊池さんがサッカーを始めたのは?

菊池:幼稚園児の時です。母親から聞いた話だと、幼稚園の園庭でサッカーをしていた子たちが赤い服を着ていて、僕がその服を着たがったらしいんです。

伊藤:サッカーじゃなくて、赤い服に惹かれたわけですか。

菊池:そうなんです。そうして地域のクラブチームに入ったんですが、特にサッカーが好きで始めたわけではなかったので、幼稚園を卒業するときにそのチームも卒業しました。でも体育の授業などでサッカーをやると、幼稚園で少し経験している分、他の子よりできてしまうんですよね。

伊藤:体も大きいですし、身体能力が高かったんでしょうね。

菊池:当時から脚だけは速くて。技術はなかったんですけど、子どもの頃は脚が速いとドリブルで抜けるんですよね。それで「サッカーって面白いな」と思うようになっていきました。そして1993年、僕が小学5年生の時にJリーグがスタートしたんです。

伊藤:開幕した頃って、海外の有名選手とか多くて面白かったですよね。

菊池:日本人選手が持っていないテクニックを見せてくれたりして、本当にワクワクさせられました。僕が「プロのサッカー選手になりたい」という夢を持ったのも、それがきっかけです。

伊藤:中学校は地元の公立に?

菊池:いえ、明治大学の付属中学に進学しました。

伊藤:親御さんに勧められたんですか?

菊池:はい。いまにして思えば「中学受験したほうが楽だろう」とか、良かれと思ったんでしょうけど。当の本人は「サッカーしたいのに、なんだよ」っていう気持ちを抱えたまま、受験勉強をすることになりまして。

伊藤:中学を受験する小学生って、毎日のように塾通いしますよね。

菊池:ですから僕は小学5・6年生の2年間、サッカーができなかったんです。そのストレスのせいか、6年生の時に1か月ほど学校を休んでしまって。

伊藤:登校拒否ですか?

菊池:理由は自分でも分かりませんでしたが、「もう何もやりたくない」という気分で。いじめを受けたとかそういうのは全くなく。とにかく学校に行きたくない、何もやりたくない…。

伊藤:心が悲鳴を上げているような感じでしょうか。でも、そんなことがありながらも中学に合格したということは、優秀だったんですね。

菊池:土日ですら8〜10時間勉強しましたからね。

伊藤:中学校に入ってから、サッカーができるようになったんですか?

菊池:学校のサッカー部に入ったんですが、今度は視力が落ちてきたんですよ。日が暮れてくるとボールが見えなくなり、トラップもうまくできない。その時はいいコンタクトレンズにも出合えなくて。そうこうするうちに、サッカーまでつまらなくなってきたんです。

伊藤:それは残念ですねぇ。

菊池:それで中2に進級した際、陸上部に移りました。陸上なら視力はさほど関係ありませんし、脚は速かったので。やってみると、それはそれで面白かったんですが。

伊藤:何か問題でも?

菊池:また学校を休むようになってしまったんです。夏休みも入れて3か月くらいですかね。小学生の頃と同じで、学校に行く意欲がなくなってしまって。通学するために満員の電車とバスを乗り継がないといけませんでしたから、そのストレスもあったかもしれません。

すべてを失って芽生えた
「強くなりたい」という想い

菊池:しばらく家にこもっていたら、ある日、市の職員さんがお菓子を持って訪ねてきてくれたんです。義務教育を一定期間休んでいることが伝わると、そういう対処をすることになっていたらしく。それで初めて「これヤバいんじゃないか」って自覚して、改めて自分が何をしたいか考えた結果、僕は「サッカーをやりたい、強くなりたい」と思ったんですよ。

伊藤:「強くなりたい」ですか。

菊池:親から「お前は弱いから学校に行けないんだ」と言われたこともあり、精神的に強くなりたかったんです。そこですぐ頭に浮かんだのが、カズさん(三浦知良選手/現在は横浜FC所属)でした。単身ブラジルに渡って、活躍して、日本代表のエースになって…すごく強い人だなと。

伊藤:カズさんは国民的なスターでしたもんね。

菊池:「僕もどうにかしてカズみたいになろう」と思ったら、途端にポジティブな気持ちになってきたんです。そこで、元Jリーガーが指導をするサッカースクールに通うことにしました。そのスクールの対象は中1までで、中2の僕は対象外。でも「どうしても教えてほしい」と頼み込んで。

伊藤:よくそんな意欲が湧いてきましたね。

菊池:もう失うものがなかったからでしょうね。僕にはサッカーしかないけど、陸上部へ移った手前、中学のサッカー部には復帰できない。だから、断られてもいいと思って選手募集のチラシを見て電話したんです。思えばそれが一番初めの「道場破り」で、自ら動くことの大切さを知る成功体験になりました。

伊藤:ドアをノックしてみたら意外と何とかなることってありますよね。

菊池:そうして入ったスクールでは元Jリーガーのコーチが実際にプレーを見せてくれるので、すごく勉強になりました。その後、高校へ進学するタイミングでJリーグのユースチームのテストを受けに行き、6チーム落ちましたが最終的にFC町田ユース(現・FC町田ゼルビアユース)というチームに入ることができました。合格できた理由が「脚が速かったから」だと聞かされて「陸上やってよかったな」と思いました。

伊藤:そのユースチームで3年間プレーしたんですか?

菊池:いえ、実は1年で辞めるんです。高1の時にチームが全国大会に出たんですが、僕はベンチにも入れず、ビデオを撮る係。1年生だから当たり前なんですけど。当時の僕は「試合に出られるチームに移籍しよう」と考え、青梅にあった柏レイソルのユースチーム(現在は提携を解消)に入りました。僕が移籍を考える3か月前にセレクションは終わっていたんですが、電話してみたら、ブラジル人コーチらしき人が「練習に来ればいいじゃん」みたいな感じで練習場所を教えてくれて、潜り込むことができました。

伊藤:すごい行動力(笑)。

菊池:そのチームでは柏レイソルのユニホームを着られるのが嬉しかったですし、1・2年生ばかりの若いチームだったので、試合にも出ることができました。

“勝てる場所”を求めて始めた
「海外サッカー道場破り」

伊藤:そのユースチームにはいつまで所属したんですか?

菊池:高2までです。3年生からは高校のサッカー部に入りました。というのも、当時の実力ではプロ入りは無理だと自覚していて、Jリーガーになるには明大のサッカー部に入って4年間頑張るしかないと思ったんです。

伊藤:3年から部活に入るのって、いろいろ難しそうですけど。

菊池:そうですね。僕の場合、中学生の時に不登校になったりしたこともあり、サッカー部の仲間からは「だめなヤツ」だとレッテルを貼られていたと思いますし。でも、ユースチームでの2年間で力がついていて、初めての試合で4ゴールを決めたんです。周りのメンバーからも「すげえな」って言われたりして、気持ちよかったですね。

伊藤:付属校からは全員が明大に進学できるんですか?

菊池:3年間の成績で判定されて、進学できるのが半分くらいだったと思います。僕の場合、受験勉強はしていませんから、明大に入れなければ浪人をしないといけない。どうにかしないといけないなと思っていたところ、友達が「文学部の史学地理学科はあまり志望者がいないらしい」と教えてくれました。そこを志望してみると すんなり合格できたんです。

伊藤:サッカーのチーム選びもそうですが、菊池さんは自分の力を冷静に分析して、勝てる場所を見つけるのが得意なんですね。

菊池:そうなったのは、不登校を経験したことが大きいと思います。変なプライドは全部捨てて、ひたすら上手くなる方法だけを考えるようになりましたから。サッカーのプレーでも、足元の技術が高くないと自覚していたので、ヘディングの練習ばかりしましたし。

伊藤:僕はこれといった目的意識を持たずに学生時代を過ごしたので、菊池さんのように目的を見つけてガムシャラに行動できた人を羨ましく感じます。大学のサッカー部はどうでしたか?

菊池:高3の2月くらいから大学の練習に混ぜてもらったんですが、レベルの高さに愕然としました。部員はほぼ全員が、外部からサッカー推薦で入学してきた選手なんです。全国大会で活躍していたプロで戦えそうな人もいる。僕との技術の差は歴然としていました。

伊藤:そんなに差があるものなんですね。

菊池:入部しても主務のような裏方として過ごすことになりそうだし、そうなるとJリーガーにはなれないなと。それで、海外に行こうと考えたんです。

伊藤:いきなり「海外」ですか?

菊池:実は当時暮らしていた多摩市で、シンガポールリーグのトライアウトがあったんですよ。高校3年生の時に受けに行って、もちろん落ちたんですけど。その経験を通じて「ヨーロッパや南米以外にもプロリーグがある」ということを知っていたんです。そこで大学のサッカー部に入るのを断って、シンガポールリーグの主催者に電話してみたんですよ。そしたら向こうはたまたま留学のビジネスを始めたところだったらしく、「現地の英会話教室に行きながらテストを受けられますよ」みたいな話をされまして。2か月で40万円くらいかかるので、アルバイトをしてお金を貯めてから行きました。

伊藤:なかなか思い切ったチャレンジですね。

菊池:そうしてプロのチームの練習に参加させてもらえたんですけど、それ以上は何かしてくれるわけではなくて。「大金を払っているし、これじゃダメだ」と思って自ら監督に掛け合ってみたところ、「このチームは外国人枠が埋まっているから」と別のチームを紹介してくれました。学校で習った英語しか知りませんでしたけど、なんとか通じましたね。

伊藤:菊池さんのように外国から来ている選手は、他にもいたんですか?

菊池:ブラジルやクロアチア、ナイジェリアの選手もいました。彼らと食事をしている時、ある選手から「タイや香港、それにインドやインドネシアなど、プロリーグは世界中にある。ここが難しければ他を探せばいいだろう」と言われまして。その瞬間から、僕の「海外サッカー道場破り」が始まったんです。

→ 後編はこちらから

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この記事を書いた人

野村京平
株式会社あどアシスト
コピーライター

1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。

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