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目次
人材派遣の営業マンとして
持ち前の行動力を発揮
伊藤:「海外サッカー道場破り」に専念するために、大学を辞めようとは考えなかったんですか?
菊池:僕も案外したたかな人間でして、一応の保険はかけるんです(笑)。大学卒業後も海外へ行ってプロサッカー選手になりたかったんですが、親から「サッカーに逃げているだけだろう」と言われるのを避けるために、とりあえず就職活動をしました。サッカー以外にやりたいことが思い浮かばなかったので、80社くらいの説明会に参加して、エントリーしたんです。
伊藤:80社ですか…業種は?
菊池:化粧品会社に銀行、それに芸能事務所など、もう手当たり次第ですね。でもやっぱり本気で働きたいと思っていないことを見透かされたのか、軒並み落とされました。そんな中、業種もあまりよく知らずに受けた株式会社パソナから内定がもらえたんです。社風も自由な感じで、前向きな方が多く、色々とチャレンジ出来そうな会社だなと感じました。そんな想いもある中で、ギリギリまでタイやマレーシアのプロリーグに挑戦したものの、プロ契約をすることは出来ず、入社することにしました。
伊藤:どんな仕事を担当されたんですか?
菊池:人材派遣の営業です。雇いたい企業と働きたい人をつなぐ仕事ですね。多い時には100人を超える方々の担当をさせていただきましたが、新人時代は登録している派遣社員さんがたいてい年上でしたし、日本の世の中をあまり知らなかったこともあって…いろいろ大変でした。
伊藤:その分、鍛えられたでしょうね。
菊池:クレームの対応をしているうちに「なんでこんなことを言うんだろう」と、相手の気持ちや背景を考えるようになりました。僕は行動力が強みだと思っていたので、とりあえず現場に行く。そうすると、怒っていた方も「忙しい中、来てくれてありがとう」という感じで、少し落ち着いてくださるんですよね。毎日、たくさんの方々と接することで人を見る目も養われたように思います。
伊藤:そうして働きながら、サッカー選手としての活動も続けたわけですか。
菊池:ええ、夏と冬に約1週間ずつ取れる休暇を利用して「道場破り」を続けました。まずプロサッカーリーグがありそうな国をピックアップして、サッカー協会のWebサイトを探すんです。
伊藤:サッカー協会のWebサイトで、選手の募集をしているわけじゃありませんよね?
菊池:掲載されている写真を見て「なんかお客さんが入っているし、プロっぽいな」と思ったら、載っている住所を訪ねてみるんです。それで「日本から来たんだけど、プロサッカー選手になりたいからチームを紹介してくれ」と頼みます。
伊藤:向こうの人も困るんじゃないですか(笑)。
菊池:たいてい「遠くから来てかわいそうだから」と同情して、チーム名と電話番号を書いたリストをくれるんですよ。それで電話をして「練習に参加させてほしい」と頼むと、身長や過去の所属チームを聞かれます。質問に答えているうちに「よく分からないけど、明日の3時から◯◯スタジアムでやっているから」と言われて、行ってみるわけです。
伊藤:どれくらの確率でいけるものなんですか?
菊池:練習参加までなら、大体いけますね。ただ英語力がなくて、相手を怒らせることもありました。「どこでやるの?場所は?」と聞くと「さっき言っただろう!」みたいな(笑)。
伊藤:きっと断られることもありますよね。
菊池:電話で「代理人を通さなければ無理だ」なんて言われてしまうケースもあります。そういう場合はもう一度電話をかけて、「おたくのチームのファンで、日本から練習を見に来た」と言うんです。
伊藤:え、嘘じゃないですか(笑)。
菊池:はい。すると相手が喜んで、練習場所と時間を教えてくれるんですよ。そうなればこっちのものですから、スパイクを履いてグラウンドに乗り込みます。
伊藤:積極的だなぁ。
菊池:もちろん「お前誰だ?」となるんですけど、スパイクも履いているし、身長も大きいのでハッタリが利くこともあり「まぁ、やる気もありそうだから今日だけいいよ」と言われて、練習に加わるんです。その日いいプレーができれば練習後に呼ばれて、「明日も◯時からやるから来い」となるんですよね。それがしばらく続けば、監督から「オーナーが来る練習試合に出すから、そこで良かったらプロ契約だ」と。その状況まではけっこういけるんですけど、プロ契約はやはり難しくて。
会社を休職してボリビアへ
奇跡的に手にした「プロ契約」
伊藤:日本の会社に所属していると、夏休みといっても時間は限られますよね。
菊池:その制約は大きいです。例えば本田圭佑選手や中島翔哉選手なら1日プレーを見ただけでも「こいつはすごい」となるでしょうが、僕ぐらいのスキルでは10日以上は見てもらわないと、チームに入れようとは思ってもらえない。
伊藤:夏休みだけじゃ難しいですね。移動にも時間を使うわけですし。
菊池:それである時、会社に「どうにか1年間休ませてもらえないか」と相談してみたんです。当時の上司が元ラガーマンで、スポーツに関して理解のある人だったこともあり、色々と協力してくださって「一年後に戻ってくるなら」と会社から休職を許可してもらうことができました。その間は無給ですが、社員としての身分でいさせてくれると。そうして26歳だった2008年の6月から丸一年、休職しました。
伊藤:その時に挑戦したのは?
菊池:南米のボリビアです。13か国目でした。
伊藤:言葉は通じるんですか?
菊池:公用語はスペイン語ですけど、当時はまったくできませんでした。でも、いろんな国に行っているうちに、なんとなく意思疎通できるようになるんです。でも例えば「歌え」と言われて「いや恥ずかしいから」と断ったら関係が終わってしまいますから、リクエストには全部応える。そこで歌ったらすごく喜んでくれて、友達になれます。結局みんな人間ですからね。サッカーの試合でもそうです。同じくらいの技術を持つ選手が何人かいれば、楽しいやつを使いたいでしょう。
伊藤:ボリビアでもまずサッカー協会に行ったんですか?
菊池:いえ、実は先にパラグアイに行ったんですが、うまくいかなくて。これで帰るわけにはいかないと思っていろんな人に連絡したら、ボリビアで仕事をしている日本人の方を紹介してもらえました。その人のところを訪ねて、2部リーグに所属するプロチームの練習場所へ連れて行ってもらうと、たまたま練習試合だったんですよ。そこで「ポジションは?」と聞かれたんです。
伊藤:いきなり練習試合に参加したんですか?
菊池:ええ、僕は昔からフォワードでプレーしていたんですけど、特に南米では信頼がないとフォワードにはボールが集まってこないんですよね。パラグアイでは、もらえたチャンスの数分間の中で、ほとんどボールにさわることができなかった。その経験から「僕はディフェンダーだ、センターバックだ」と嘘を言ったんです。そうしたら、たまたまその練習試合の相手がロングボールをたくさん蹴り込んできたんですよ。南米というとパスでつなぐイメージがありますけど、そのチームはなぜかやたら蹴りこんできました。それで、来たボールをヘディングでどんどん跳ね返したんです。あと、ミスキックが偶然すごく良いパスになってアシストになったり(笑)。
伊藤:ラッキーが重なったんですね。
菊池:しかも、その練習試合をチームのオーナーがたまたま見ていて「こいつすごいな。他のチームのテストを受けさせるな、契約だ」みたいな話になって、プロ契約を結んでもらえたんです。
伊藤:トントン拍子ですね!契約内容は?
菊池:期間はその年末までで、1か月の報酬は1万円くらい。チームのスポンサーが大学だったので、食事は大学で無料で食べさせてもらえる。奇跡ですよね。初めて僕にサッカーの神様が降りた瞬間でした。
伊藤:試合に出られたんですか?
菊池:それが、試合には出られなかったんです。僕としては一度登録したパラグアイに自分の保有権(パセ)があると思っていたので、選手登録に必要なカードのようなものを、チームとボリビアサッカー協会を通じてパラグアイへリクエストしていたんですよ。ところが何か月経っても送られてこないものですから、選手登録ができなくて。
伊藤:ルールが厳しいんですね。
菊池:結局、カードは送られて来ませんでした。真相が知りたくて帰国する間際に日本サッカー協会に電話したら「菊池さんの最終登録チームは日本のチームになってますよ」と言われました。てっきりパラグアイにあると思い込んでいたんですが…。
伊藤:それは残念…。
菊池:でもだからこそ、いまでもサッカーを続けているんですよね。僕の夢は「プロ契約」じゃなくて、大勢の観客の前でプロとしてプレーすること。それが叶っていないから、辞められないんです。
伊藤:ボリビアは楽しかったですか?
菊池:うーん、正直、二度と行きたくないですね(笑)。
伊藤:え、それは意外。
菊池:当時は貧しい国でしたから、みんな自分を守ることに必死で、外国人をもてなすような余裕はありませんでした。持ち物は盗まれるし、嫌がらせもされるし。クラブハウスに服を置いておくと、びっしょり濡れていたこともありました。現地の選手からしたら「金持ちの国から何をしに来たんだ」という気持ちなんでしょうね。
伊藤:「仕事を奪いに来た」と思うわけですか。
菊池:「南米に来る飛行機代があるんなら、親にいいもの食べさせてやれよ」と言われたこともあります。ムカついたので「僕も金なんて持ってないよ」というアピールのつもりで、毎日同じ服とスパイクで練習に行ってやりました。そうしたら半年経ったある日、キャプテンから300ボリビアーノ(約5,000円)が入った封筒を渡されました。30人のチームメイトから1人10ボリビアーノずつ集めてくれたらしく、「これでスパイク買いに行けよ、そんなんじゃできないだろう」と。
伊藤:仲間として認めてもらえたんですね。
菊池:そうですね、そこからは一気に仲良くなれました。実は家に新品のスパイクが3足くらいあったので、お金は断りましたけど。まぁとにかく、生きるためには他人を蹴落とさざるを得ない、大変な国でした。
「できない理由」を探すより
まずは行動してみよう
菊池:その後、また2014年まで普通にサラリーマンとして働いて、もう1回休ませてくれるよう頼みました。やっぱりまだプロとして試合に出ていないし、年齢的にも最後にもう一度挑戦したいと。しかし、それはさすがに認めてもらえなかったので、円満に退職しました。
伊藤:現在はパソナスポーツメイトでアスリートのキャリア支援をされているそうですね。
菊池:はい。プロではないアスリート、特にマイナースポーツの選手たちは、日中に仕事をして、夜から練習をするというケースが多い。身体に重い負担のかかる仕事をしている選手も少なくないんです。
伊藤:練習する前に疲れきってしまいそうですね。
菊池:その点、派遣の仕事をすれば、体力的な負担が軽減できますし、パソコンや営業のスキルを身につけられるので、引退後の選択肢を広げることにもつながります。そういうセカンドキャリアを見据えた働き方などをサポートしたりしているんです。
伊藤:菊池さんもアスリートですから、選手の皆さんも相談しやすいでしょうね。
菊池:あと、日本サッカー協会の社会貢献活動である「夢先生」(夢や目標を持つことの素晴らしさ、フェアプレーや助け合いの精神を、子どもたちに伝えていく活動)や、学校などに自身の経験を話しに伺う活動もしています。 僕は海外でプロ選手になるためのコネも、語学力も、サッカーのスキルも…とにかく何も持ち合わせていませんでしたが、そんな「できない理由」を探すのではなく「できる理由」を探していこう、というのをテーマに話しています。
伊藤:サッカーのライターとしても活動されているんですよね。
菊池:ヨーロッパに取材しに行ったりする際は、完全に赤字ですけどね(笑)。やはり海外で戦っている選手の話を聞いたり、その現場を見るのが好きなんだと思います。ライターは話を聞きたい人に、実際に聞きに行ける。それが醍醐味といえるかもしれません。
伊藤:Jリーグやヨーロッパのチームで活躍した選手の中には、いまの菊池さんよりずっと若い年齢で引退している人が大勢います。その中には東南アジアなどのチームならまだ活躍できる選手もいると思いますが、多くの選手はそうしませんよね。そうした選手と菊池さんとでは、プライドの在り方が違うように思えます。
菊池:いろんな考え方があるでしょうが、僕は恵まれない環境の中でプレーすることをカッコ悪いと思わないんです。それに、たくさんの国で失敗を重ねてきましたが、毎回自分なりにいろいろな工夫はしているんですよ。ある国での経験を生かして、次の国ではこうプレーしようとか、こんな風に交渉してみようとか。そうする中で、人には気付かれなくても、ちょっとずつ強くなっているというか、成長できている実感があるんです。
伊藤:菊池さんのお話を聞いて、改めて「人生にはいろんなゴールがあるんだな」と思いました。そしてそれに気付ければ、世界はどこまでも広がっていくんだなと。サッカー選手としてのゴールは、ワールドカップや4大リーグだけでなく、もっと多様だということですよね。
菊池:僕はずっと劣等生でした。試合に出られなかったり、小中学校では不登校になったり。だからこそ、控え選手の悔しい気持ちも分かるし、学校に通えない子どもの気持ちにも寄り添えるかもしれない。だからいまの仕事や、子どもたちに経験を伝える活動をさせてもらえているんだと思います。
伊藤:リヴァでは「自分らしく生きるためのインフラをつくる」というビジョンの実現を目指していますが、自分らしく生きるためのチャンスって、実はいろんなところにあると思うんです。でも硬直した価値観に囚われていると、なかなかそのことに気付けなくなり、人生が息苦しいものになってしまう。そんな人に出会ったとき、菊池さんならどんなアドバイスをしますか?
菊池:例えば、その人がサッカーで食べて行きたいと考えているとしたら「いろんな関わり方があるよ」と伝えたいですし、それらを見つけるためには「自分で動いてみること」を勧めたいですね。僕が道場破りをするのも、ライターとして海外で活躍する選手に取材するのも、動いてみたことで見つけたサッカーとの関わり方ですから。
伊藤:夢や目標って、実は達成するまでのプロセスが楽しかったりしますし。すぐにうまくいかなくても、どうすれば攻略できるんだろうと試行錯誤する日々だって楽しい。それを知るためにも、行動することは大切ですね。
菊池:もし僕が思い通りのサッカー人生を歩めていたら、16もの国でいろいろな経験をすることはなかったはずです。いろんな失敗をしたからこそ、考え方の幅も広がりました。
伊藤:そうして得たものは、お金では買えませんからね。
菊池:そうは言っても、2014年にカンボジアでトライアウトを受けた時、この試合で良かったらプロ契約してもらえるというシチュエーションまで行っておきながら、緊張で何もできなかったんですよ。5分くらいプレーしただけで「全然ダメだからシャワー浴びて帰れ」と言われて。その時、「いろんな経験をして強くなったはずなのに、全然ダメじゃねえか」と(笑)。だから、僕にもまだまだ伸び代があると思っています。
伊藤:なるほど。今日は本当に面白いお話が伺えてよかったです。ありがとうございました!
1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。
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