【うつ体験談】ありのままの自分を受け入れて「自分軸」の人生へ ー FLY SOLOさん

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就職先を決めた理由は、家族が喜んでくれるから

高校時代、発展途上国の問題に興味を持った私は、紛争や貧困で苦しんでいる子どもが沢山いることを知り、大きなショックを受けました。

そこで「途上国の子どもたちを笑顔にしたい」という思いを抱き、京都の大学へ進学。在学中に訪れたメキシコの孤児院で「子どもの環境を改善するには、親を取り巻く社会の仕組みから変えなければいけない」ということを学びました。

大学卒業後は、ユニセフ(国際連合児童基金)で働きたいという思いがありながら、大手企業へ就職。ユニセフという狭き門へ挑戦するだけの自信が持てず、最終的には「有名な企業で働けば家族が喜んでくれる」という理由で決断しました。

社会インフラの整備や途上国支援も行っている企業だったので、「海外と関わりながら社会の仕組みを変える」という思いは叶えられるはずだと、自分を納得させたんです。

初任地は地方でした。当時、インフラ業界で女性が営業を担当することはまだ珍しく、顧客含め周りは全員男性。女性用トイレの無い山奥の現場へ数時間かけて通うなど、業務は体力的にハードなものも多かったです。

3年経っても状況が変わらなかったため、「このまま会社にいても国際的な仕事ができないのではないか」「海外の大学院に進学しよう」と考えるようになりました。

そうして辞職を願い出たところ、元上司に「東京で海外事業に関わらないか」と転勤を打診されました。

心の叫びを無視しながら働き続ける日々

悩んだ挙句に転勤を決意。4年目からは本社で海外事業の立ち上げに携わることになりました。

何もかもがゼロからのスタートで、担当していた先輩と私の2人は手探り状態。手続きの仕方や業務の流れさえもまだ分からない状況下で、なんと先輩が会社を辞めることになったのです。

不安でいっぱいだったのに、私は「期待されて東京に呼んでもらえたのだから、あまり人に頼ってはいけない」と自分を戒め、できない自分を責めていたと思います。

必死に働く毎日で、心が休まることなく、仕事のことで常に頭がいっぱいでした。半年も経たないうちに、食欲不振や不正出血の症状が表れました。

そんなある日の朝。目が覚めると、突然頭が真っ白になり、起き上がれなくなりました。母に付き添ってもらってメンタルクリニックを受診したところ、診断結果は「抑うつ状態」。

私はその場で泣き崩れました。「人生が終わった」と思ったんです。医師からは職場の人との連絡を取ることはもちろん、携帯を見ることも禁止され、突如休職することになりました。

2度目の休職、そして人生の大きな転機

3か月ほどで食欲が回復し、生活のリズムも取り戻しました。そこで「働ける体に戻った」と思い、同じ職場に復帰したものの、以前のように働くことができません。とにかく周りの目が気になり、電車や車に乗ることも、会社にいることも怖くなってしまったのです。

最初に与えられた仕事は「本を読むこと」でした。体調を気遣ってくれたのでしょうが、かえって居心地が悪く、苦しかったですね。

また、薬の副作用がひどく、通勤電車の中で倒れてしまったり、駅のホームで1時間ほど意識を失うなどの異変が起きていました。

復職から半年後、会社でパニック発作が起きてしまいます。過呼吸になりながら「このままでは死んでしまう」と思い、2度目の休職を願い出ました。

主治医の診断結果は、適応障害。「2回も休職をしてしまった」と気分はさらに落ち込み、食事は喉を通らず、ほぼ寝たきりの状態でした。何よりも、薬を飲むことが怖くなってしまい、「主治医を変えて、なるべく薬を飲まずに回復を目指したい」と考えました。

新しく診てもらうことになったのは、催眠療法の資格を持った先生でした。その指導のもと、催眠療法やヨガによる治療を開始。

相性が良かったのか、2か月も経たないうちに、睡眠薬や精神安定剤を全く飲まずに生活ができるようになったのです(※編注 あくまでも個人の経験談です。治療については主治医としっかりご相談ください)。

先生からはリワーク施設の存在も教えてもらい、調べてたどり着いたのがリヴァトレ。これらの出会いが大きな転機となりました。

どんな自分も「認めてあげたい」

リヴァトレを体験して驚いたのは、自分と同じように疾患を抱えているはずの利用者さんたちが元気そうだったことです。催眠療法の勉強を始めた私にとって、心理のプログラムが充実していたことも魅力的で、正式な利用を決めました。

最初は「決められた日に通う」くらいの意識で、決して積極的とはいえなかったと思います。転機になったのは、利用開始から3か月ほど経った頃、エゴグラムという方法で自己分析をしたことでした。

分析の結果として見えてきたのは、自己肯定感が低く、プライドが高い私です。頑張った自分を認めず、100%の力で走り続けていたこと。それに、他人からの見え方ばかり気にしながら行動していたことも自分を苦しめていたと気づき、反省しました。

初めて自分を客観視し、「ありのままの自分を認めてあげたい」と思いました。他人と比較するのではなく、「自分は自分でいいや」と割り切れるように。

心からやりたいことだけを選択する「自分軸の人生」を目標に据えることにしました。その時の気持ちを忘れないように、小さくまとめたエゴグラムの結果をいつも持ち歩いています。

リヴァトレでのモチベーションも変わっていきました。積極的にコミュニケーションを取って、他の利用者さんに勧められたプログラムを受けてみたり、自分たちでプログラムを企画したこともありました。

また、認知行動療法をきちんと学んだことで、他人の目が気になった時は、一度立ち止まって、気にしている自分を客観的に見つめたり、気になる理由を考えるなど、対処もできるようになりました。

迷ったときはワクワクする道へ

利用開始から半年が過ぎた頃には、毎日リヴァトレへ通うことにも慣れ、会社の近くまで行って上司と会うことにも大きなストレスを感じなくなりました。

そして、「リヴァトレで出来ることは全部やった」という自信と「自分を試したい」という意欲が高まってきたため、復職することにしたんです。

この復職の際には前回と違う捉え方ができるようになっていました。「読書が仕事」のリハビリ出社でも、「きちんと仕事に復帰するために必要なステップだ」と納得して受け入れられましたし、できそうな作業を見つけて自分から進んで取り組んだり、無理なことは正直に「できない」と断ることもできました。

以前と同じ人間関係の職場に復帰したにも関わらず、会社へ行くことをつらく感じたりすることは不思議とありませんでした。順調に就業制限が外れていき、フルタイムで働くこともできるように。

また休日には、催眠療法を無償で提供する活動をし始めました。目の前のクライアントさんと1対1で向き合い、自分が必要とされていることを実感できる喜びは、会社で関わっていた大きなプロジェクトでも味わえなかったもので、大きなやりがいを感じましたね。

初めは知り合い中心の限られた範囲で行っていたのですが、そのうちに口コミが広がっていき、依頼が増えるようになりました。

そして「いまの仕事でも催眠療法でも、どちらでも生計を立てられるな」と思った時、どちらがワクワクする未来を描けるかと考え、復職から約1年後、会社を辞めてフリーのセラピストになることを選んだんです。

また、海外で仕事をしたいという思いも再燃したため、世界中をまわりながらセラピーの勉強をしようと決意しました。

伝統的なセラピーを学んだハワイにて

うつを経験したからこそ、自分らしく羽ばたけた

退職した後は、主に中南米に滞在しながら世界中の代替医療を学びました。現在は、“FLY SOLO”という名前に込めた「全ての人が、自分自身の羽を見つけて自由に羽ばたけるように」という理念の下、セラピストとして全国でワークショップを開催したり、WEBライターや英会話講師としても活動しています。

セラピーやカウンセリングは、海外では町医者に行くように身近なものなので、日本でも気軽に受けられる環境を作り、心の病を未然に防ぐことができたら嬉しいです。

私の好きな言葉に「つまずいたところにあなたの宝物がある」というものがあります。うつになったことは“つまずき”でしたが、あの経験がなければセラピストという働き方に出会うことができていません。

私が自分らしさを追求していくことで、誰でも自分らしく生きることができるよということを知ってもらいたい。この経験を通じて見つけた宝物であるワクワクできる人生を、これからも自分らしく歩み続けていきたいと思います。

エクアドルにて

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この記事を書いた人
菅野 智佐 株式会社リヴァ 2018年度入社

1996年福島県生まれ。山形大学を卒業後、18卒として(株)リヴァへ入社。ラシクラ事業部・新卒採用の責任者を兼任しながら、新規事業「あそびの大学」の立ち上げに至る。自分らしいと感じる瞬間は「物事の背景を探求している時」。趣味は、DIYと金継ぎ。

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