リヴァトレ市ヶ谷に通われ、再就職された30代男性にお話しを伺いました。
目次
「うつになるとキャリアが終わる」
現実の受け入れを阻んだ“偏見”
かつての私は「正論しか認めない」「グチを言う人は許せない」が持論。他人にも自分にも厳しく、ストレスを溜めてしまいがちでした。
総合人材サービス会社に勤務していた30歳の頃は、朝から深夜まで休憩も挟まず、びっしりと仕事を詰め込む働き方をしていました。
成果は上がっていたものの、毎日「もうこれ以上頑張れないかもしれない」と疲弊していました。そんな中思いがけず、チームリーダーに抜擢されてしまったんです。
結果、通常の業務に加えて、チームを率いることで生まれるストレスまでがのしかかり、体調の悪い日が増えていきました。微熱が3か月以上続き、咳が止まらず、同時に体重も激減…。
見かねた周囲の上司から勧められたのは、休職と、体調を崩した人が集まる部署への異動でした。納得できなかった私は、「その部署に異動するくらいなら辞める」と極端な判断をし、2か月間の休職期間中、転職活動に励みました。
その頃の記憶は曖昧なのですが、心療内科で医師に「うつ」という言葉が受け入れられないことを訴え、「慢性疲労症候群」と診断してもらったことは覚えています。
私は、元々「うつ」にはあまり良いイメージはありませんでした。「うつになることはキャリアの終わりだ」と感じていたし、自分が「うつ」になったことを絶対に受け入れられなかったのです。
「うつ」を受け入れられないまま
転職を繰り返した6年の“暗黒期”
2か月の転職活動の末、しっかりと休養を取らないまま内定をもらったIT企業に入社しました。
その結果、「うまく頭が回らない」「物覚えが悪い」「周囲とのコミュニケーションを億劫に感じる」などの症状に襲われ、業務スピードが落ちていきました。
周りには大手外資系出身の上司をはじめ、優秀な人ばかり。私は自身の業務スピードが落ちて仕事を溜めてしまっていることについて、誰にも相談できませんでした。
また、「なぜ以前のように成果が出せないんだろう」「どうしてこんな簡単なことが出来ないんだろう」と自己嫌悪に陥り、無力感に苛まれました。
その後、再び転職をしたものの、今度も体調不良に。
薬を変えたことも影響したのか、布団から出られなくなってしまったんです。この時はじめて「ああ、もう無理だ…」と思い、ポキッと心の折れる音が聞こえたような気がしました。その後、会社を退職しました。
うつ症状がある自分を受け入れられず、働き続けた6年は、私にとって思い出したくない“暗黒期”です。
家族に伴われてリヴァトレへ
最初は「出来る人と思われたい」の一心
自宅療養中、新聞で「リワーク施設」の存在を知り、興味を持ちました。
でも、やはりまだ自分がうつであることを受け入れられずにいたため、利用するのは絶対にイヤだったんです。ところがその後、そんな私の気持ちを知らなかった家族に、半ば強制的にリヴァトレへ連れていかれました。
仕方なく体験プログラムを受けてみると、ビジネスゲームが仕事と似ていて面白く思えたことや、知り合った利用者の方に活発な人が多かったことで、印象はがらりと変わりました。
そして不思議と「通ってみたい」と思えるようになりました。
利用し始めた頃は「出来る人と思われたい」という一心で、自己主張が強くなりがちでした。失ったプライドを取り戻すために、必死だったんでしょうね。
「自分がどう見られているのか」「自分はうまくやれているのか」など、とにかく自分にばかり関心が向いていて、プログラムはいつも全力。終了後はヘトヘトになって、足を引きずりながら帰る毎日を繰り返していました。
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大阪出身。上京後はWEBディレクターを経て、リヴァへ入社。支援職をする傍らリヴァマガの運用管理に携わる。大阪移住を決意しリヴァを卒業。元リヴァ社員として退職後も執筆を継続。