こんにちは、代表の伊藤です。
「週刊エコノミスト」(10月31日特大号)に、自分のインタビュー記事が掲載されました。同誌で取り上げていただくのは初めてです。全国誌なので、仙台の両親も見ることが出来て、少しは安心してくれるかな。
取材してくださった記者の種市房子さんは、この分野に関心の高い方で話が弾みました。よく理解し、共感してくれる方が相手だと話しやすいですね。
※取材はリヴァトレ品川で実施しました。
記事全体の構成は、「リヴァトレのサービス説明」➡「社会人になってからリヴァ起業までの経緯」➡「いまチャレンジしていること(法人向サービス)」となっています。
社会に出てからリヴァを起業するまでの経緯については、かなり深く、いろいろと聞かれました。(以前出演した、ニッポン放送のラジオでもお話ししたのですが、時間の都合もありほとんどカットされていました…)
改めて自分自身の経歴を簡単にご紹介すると、
ITの大企業(2.2年)➡福祉系ベンチャー(4.5年)➡リヴァ(6年~)となります。つまりリヴァが最長ですね(笑)。
初めて働いた会社、その後に転職した会社、そして起業したリヴァ。それぞれの場で様々な学びがあり、今に活きていると感じています。
大学生の頃の自分が今の自分を見たら、さぞ驚くでしょう。
当時は「社会に出て働くなんて嫌だなー」と考えていて、大学院に進学した理由の1つは「まだ働きたくない」と思ったから。今にして思えば、新卒で大企業への就職を選んだのも、周りの友人が大手企業に決まっていく中、教授や親の視線を気にしてのことでした。
1社目を辞めて、福祉ベンチャーに行くと決めた時、自分はようやく自分の意志で人生を歩み出せたように思います。
さて、今回のインタビューでも話しましたが、自分の仕事観に大きな影響を与えてくれたのは、福祉ベンチャーで働いている時に自分が就労支援を担当させてもらった、山下重人さんです。
筋ジストロフィーを患っている山下さんは人工呼吸器を使用していて、指1本を動かすのも大変な状況。自分とは、画面に文字を表示することで会話してくれました。
公的な補助や、奥様をはじめとする人々に支えられながら生活していることに負い目を感じていたのか、山下さんは「僕は何のために生きているのか、負担しかかけていない。社会に対して何か役に立ちたいんです。」と画面に打ち込みました。
それは自分にとって、衝撃的な言葉でした。
先天性の重い障害を持って生まれたことを恨みに思っても不思議ではないのに、そんなふうに考えられるなんて。当時の自分には決して持つことのできない考えで、本当にすごいと感じたのです。だから何としても、その願いを実現させたいと思いました。
何日か後、自分は人材を募集している企業の人事の方を山下さんのご自宅までお連れし、その場で面接をしてもらいました。すると、人事の方も山下さんの「働きたい」という切実な願いに胸を打たれたのでしょう、ありがたいことに、その場で「一緒に働きましょう」と内定を約束してくれました。
その瞬間、表情筋が既に動かないはずの山下さんが、笑ったのです。…もしかしたら、そう見えただけなのかもしれません。でも、自分には確かにそう見えましたし、奥様もその「笑顔」に驚き、涙を流されていました。
その場面に立ち会って、自分の内側の方から、心震えるものがこみ上げてきました。人にとって働くということは何なのか、改めて考えさせられました。自分のその後の“軸”が定まった瞬間でもあったのかもしれません。
山下さんとの出会いには、本当に感謝しています。
山下さんは現在も働かれていますが、その一方で、絵も描かれています。そして、就労をお手伝いさせていただいてから10年以上経つのに、今でも素敵な絵の入ったカレンダーを送ってくれるのです。自分は山下さんの絵がすごく好きで、毎年デスクにおいて眺めています。
※2018年のカレンダーも届きました。
筋力がまだ動いた時は自由に描けていたそうですが、今でもパソコンを使って描き続けています。これからもいろんな絵を世の中に届けてほしいと思っています。
「エコノミスト」の記事の中では、リヴァの起業に関しても触れています。バックナンバーもオンラインで購入できるようです。
読んでもらえると嬉しいです。
引き続きよろしくお願いいたします!
1978年宮城県生まれ。大手システム会社でエンジニアとして勤務後、障害者就労支援会社に転職。多くのうつ病患者を生み出す企業や社会への疑問と関心から2010年8月にリヴァを設立、現在に至る。