コロナ禍が社会を一変させた2020年は、リヴァにとってもリモートワークなど新しい働き方を導入したり、オンラインでのサービス提供を開始したりと、変化の多い年でした。そんな“激動の年”の就活を乗り越えて、この4月から晴れてリヴァに入社する2人の若者に、学生時代に経験したことや入社を決めた理由などを聞きました。
目次
やりたいことは即実行!
海外経験が就活のカギに
――まずはそれぞれの学生時代の取り組みについて教えてください。大西さんは組織のリーダーシップをとる機会が多かったそうですね。
大西 はい。中・高・大と生徒会やサークル運営に携わってきましたが、実は幼い頃はかなりの引っ込み思案でした。母が地域の清掃などボランティア活動に積極的に参加しており、連れていってもらうことも多かったので「自分も人の役に立ちたい」と思っていたのですが、人前に立つのが恥ずかしくて…いつも誰かの後ろに隠れていましたね。
そんな私が変わったきっかけは、小学校の担任の先生にクラスの班長を任されて、自分の頑張りが周囲に感謝されたこと。以来、リーダーの役割を務めるのが好きになりましたし、自分が先生にしてもらったように、他者の人生が好転するきっかけづくりがしたいと思うようになりました。
――海外でもいろいろな活動をした経験があるとか。
大西 きっかけは、高校の授業でフェアトレードについて学び「こんな風に世界をより良くする仕事があるのか」と衝撃を受けたことでした。大学では国際協力について学びながら、現地での活動に2回参加しました。
1回目は、インドネシアの高校生に日本語を教える5か月間のプログラム。2回目は、フィリピンの社会活動組織が運営するレストランで働くボランティア活動でした。それぞれの国で、就職先を決める際の自分なりの基準を持つきっかけとなる貴重な経験が出来ました。
――日本と違う環境で戸惑ったりはしませんでしたか?
大西 インドネシアでは、最初は自分の授業を全然聞いてもらえなくて悩みましたね。「一生懸命やっているのにどうしてだろう」と思い、現地の先生の授業を見学させてもらうと、教師と生徒が会話をしながら進めていく双方向的な授業が多いことが分かりました。一方、私が行っていたのは日本式の一方向の授業で、生徒たちには退屈に感じられたようで。
そこで、生徒とのコミュニケーションを授業のメインとし、学生たちが好きな日本のアニメを題材として取り上げると、みんな集中して参加してくれるようになったのです。その経験から「自分は新しいことを始めたり、試行錯誤して課題に取り組んだりすることに、強いやりがいを感じるんだな」と気づき、就職活動をする際も新規事業の開拓に力を入れている企業を重視しました。それに、将来的に起業したいとも考えるようになりました。
フィリピンのレストランでは、不慣れな飲食の仕事でミスを繰り返してしまい、何度も叱られました。そのミスを取り返そうと一生懸命取り組みましたが、その思いが強すぎて逆に空回りし、さらなるミスを生むという悪循環に陥ってしまいました。そのため、そのボランティア活動自体は苦い思い出なのですが、仕事への取り組み方を強く学ぶことができましたし、「就活では自分の強みを活かせる会社を選ぼう」と考えるきっかけにもなったので、とても良い経験だったと思っています。
――なるほど、自分の働き方についてヒントを得ることができたのですね。さて、荻野さんはどんな子ども時代を過ごされましたか?
荻野 両親が、障害や発達の特性を持つお子さんを放課後に預かる福祉施設「放課後等デイサービス」を営んでおり、中学生のときから、休日は施設の手伝いをしていました。
子ども心にその仕事の意味を知りたくなり、母親にふと「障害者のお世話をしてどんないいことがあるの?」と尋ねたことがあります。そのときはめちゃくちゃ怒られました。もちろん悪気はまったくなかったんですけど、母からすれば「何てことを言うんだ」という感じだったんでしょうね(笑)。…思い返せば、それも自分なりの、福祉への興味の表れだったのかもしれません。
――なかなか深いエピソードですね。荻野さんが物事の意味を深く探求したい人だというのがよく分かります。
荻野 大学は「将来は実家の施設を継いでほしい」という親の希望もあり、福祉系の学部を選びました。
福祉の現場を知るために大学近くの放課後等デイサービスでアルバイトしたんですが、その施設では体の弱い子どもたちに過保護な扱いをしたりせず、スタッフさんたちは安全に配慮しつつも、全力で子どもたちの遊びの相手をしていました。助けられる側だけでなく、助ける側もいきいきと過ごしている福祉のあり方を目の当たりにしたことで一層、「福祉ってなんだろう?」と深く考えるようになりましたね。
一方で「他の業界について知らずに『福祉が自分の天職だ』とは断言できないな」という思いもありました。そこで、1年間大学を休学して見聞を広めることにしたのです。まずはサンフランシスコの学校へ8か月間の英語留学に行きました。
――荻野さんも、かなりの行動派ですね。
荻野 学校はIT企業の一大拠点であるシリコンバレーの近くだったので、たくさんのエンジニアと知り合いました。その人たちを見て一番驚かされたのは、時間や場所に縛られることのない、とても自由な働き方をしていたことです。ある程度働いてお金を貯めたら、かなり長いバカンスをとって、海外旅行に行ってしまったり…そんな姿が、自分の目にはとても魅力的に映ったんです。
そこでエンジニアの仕事に興味を持ち、「休学期間の残り4か月で勉強してみよう」と思った私は、1~3月の3か月間でインドのプログラミングスクールに留学したのです。
――今度はインドですか!?
荻野 自分を追い込める環境をつくらないと、すぐにサボってしまう性格なので(笑)。
海外の学校で集中して学んだことで、エンジニアの楽しさの端緒はつかめた気がしたものの、「勉強しただけで、仕事をしてみないと本当の向き不向きは分からない」と思い、4月に日本に戻るとシステム開発のアルバイトを始めました。
バイト先の社員さんはとても親切で、エンジニアとして働くのが初めての私に、丁寧に仕事を教えてくれました。開発に参加したサービスがリリースされたときには、それが人に使われ、評価されることがとてもうれしくて。「頑張れば必ず答えが見つかる」という業務の性質と自分の性格が合っているとも感じていたので、福祉職ではなくエンジニアとして就職しようと考えたのです。
リヴァと出会って見つけた
“夢を実現する方法”
――大西さんはどのように就職活動を進めましたか?
大西 実は、私は20卒と21卒の2回就職活動をしています。20卒のときは就活に目的意識をあまり持てず「ビジネスマンとして成長して起業したい」という理由で人材会社を受けていました。
苦戦しつつも最終的には複数の会社から内定をいただいたのですが、卒業までに社会人の先輩や同学年の友人と会話しながら自分の考えを整理するうちに、目標と仕事が合っていないと気づき、もう1年就活することに。
2年目は同じ失敗を繰り返さないよう、「ビジョン・仲間・環境」を就活の軸にすると決めました。「ビジョン」は「人生が変わるきっかけを提供する」という、私の目標を共有できる企業であること。「仲間」は夢や志を持った同僚と切磋琢磨できること。「環境」は一人ひとりの「やりたい!」をみんなで応援する、アットホームな雰囲気の中で働けることですね。
これらを軸に企業研究をした結果、社会課題の解決をミッションとする企業やNPOに志望先を絞ることにしました。そんな折、逆求人サイト(就活生がプロフィールや経験を登録しておくと、企業から説明会や面接への招待が届くWEBサービス)でリヴァからメッセージが届きました。
そこに書いてあったのは、私がサイトに載せているプロフィールを読みこんで送ったのであろうメッセージと、「自分らしく生きるためのインフラをつくる」というビジョン。引っ込み思案だった幼少期の私は、気恥ずかしさや経験のなさから「自分らしく生きる」ことが出来ていなかったのだと思うんです。そして「人生が変わるきっかけを提供する」という私の目標は、「自分らしく生きる人を増やす」ということではないかと考え、リヴァの選考を受けることにしました.
――リヴァの印象は?
大西 会社説明で、初の新卒社員として入社した6年目の森田さんが新規事業「ムラカラ」の立ち上げに向けて活躍しているという話や、菅野さんや高階さんなどの若手メンバーがそれぞれの目標を語られているのを聞いて、「若い社員が夢を持ち、それを実現することを応援してくれる企業なんだな」と感じました。
また、2次面接で青木さん(取締役)と話したとき、ついたくさんの質問を投げかけてしまったのですが、1時間くらいかけて丁寧に答えてもらいました。非常識なことをしてしまったかも…と家に帰って落ち込んだのですが、その後にいただいた連絡で「真剣さが伝わった」と自分の積極性を評価してもらえたのもうれしかったです。
リヴァの最終面接では「この会社で自分がやりたいこと」についてプレゼンする課題があり、先輩社員から2回も丁寧なフィードバックを受けられたことも心に残りました。入社するか分からない学生相手に、こんなに時間をかけて向き合ってくれる企業は他にないと思ったんです。
こうした過程から、自分が求める「ビジョン・仲間・環境」がリヴァには揃っていると感じていたので、内定のお話をいただいたときはすぐに承諾しました。
――なるほど。荻野さんは?
荻野 私の就活の方針は「エンジニアとして一般企業を志望し、中でもダイバーシティの促進など社会活動に力を入れているところを優先する」というものでした。
3年生の夏は社会福祉士の実習などもあって忙しかったのですが、なんとか1社だけインターンに行けることになりました。インターン先は高齢者福祉の分野でさまざまな事業を展開している企業で、新事業のアイデアを考えて発表するという課題が与えられたんです。
そこで、その企業がすでに展開している事業について調べたり、他の参加者と議論を交わしたりするうちに、「助けを必要としている人を直接助ける以外にも、多様な福祉の形があるんだ」と気づきました。
これはエンジニアを目指しながら福祉への思いが残っていた私にとって、重要な発見でした。「困っている人のためにITサービスを開発することも福祉の一部だし、福祉とエンジニアという自分の2つの夢は両立できるんじゃないか」と。
そんなことを考えていたときに、大西くんと同じく、逆求人サイトでリヴァから声をかけられました。私が強く興味を持ったのは、就労移行支援・生活訓練事業所の情報管理システム「LACICRA」を開発しているという点です。実家の手伝いや実習先の福祉施設で大量の紙資料を扱うたびに「もう少し便利に管理できればいいのに…」と感じており、エンジニアの勉強をしている際も、福祉事業所の運営を円滑にするITの仕組みづくりについて考えることが度々あったのです。
――もともと福祉の現場を知っていたから、「LACICRA」が果たす役割がすぐに理解できたんですね。面接を受けた感想は?
荻野 1次面接で印象的だったのは、リヴァのビジョン「自分らしく生きるためのインフラをつくる」の意味について、伊藤さん(代表)から説明してもらったことですね。
「人生に行き詰っている人に、将来の幅広い選択肢を提案して、その人が選んだ選択肢を遂行する支援をする、それが福祉だと考えている」という伊藤さんの言葉に、自分が幼い頃から考えていた「福祉ってなんだろう」という疑問を解く手掛かりが得られた気がしました。
また、リヴァは社員も自分らしく働ける環境づくりを大切にしているとのことでした。就活の場ではどうしても、自分のスキルや性格を、企業が求める像に合わせてアピールすることが多かったので、“自分らしく”という言葉がとても新鮮に聞こえました。
そして、面接官の皆さんが私の話を熱心に聞いてくれるので、親から実家の施設を継ぐよういわれていることや「エンジニアとして働きたいけれど対面福祉もしたい」という気持ちがあることを、正直に伝えられたんです。
他の会社からも内定をいただいていたので、リヴァから内定の連絡があったときは少し悩みました。でも、実家の事情や自分の考えを面接で伝えている会社の方が働きやすいでしょうし、「自分の本音を理解してくれている人たちと働きたい」という思いもあって、リヴァへの入社を決めました。
自分たちらしい方法で
よりよい社会をつくりたい
――お2人ともリヴァのビジョンに共感したとのことですが、「自分らしく生きるためのインフラをつくる」という言葉をどう捉えているのでしょうか。
大西 「インフラをつくる」という部分については、まだ明確なイメージを持てていないのですが…自分らしさとは、得意・不得意や好き・嫌いなど、誰しもが持っている“人との違い”だと思っています。自分の特性に合った環境で、のびのびと活躍できる人を増やすことが、リヴァの仕事ではないでしょうか。
荻野 自分の人格が否定されない環境や、自分のやりたいことが実現できる方法があれば、みんな自分らしくいられるはず。それらを、インフラのように自由にアクセスできるようにするのが、リヴァの使命だと考えています。
――4月からはどんな業務に関わっていきたいですか?
大西 私と荻野くんは2人ともLACICRA事業部に配属される予定で、すでに内定者インターンとして一部の仕事に関わっています。
私は営業として、LACICRAをより多くの事業所で使ってもらうために働きつつ、同じシステムを使っている事業所のコミュニティをつくりたいと考えているんです。同業者が出会うことで助け合いが生まれるでしょうし、共通の課題が発見できれば新たなサービス開発にもつながるんじゃないかと。
また、22年卒向けの採用活動のお手伝いもしています。一緒に働いてくれる人を見つけるのはもちろんですが、自分らしく働ける人を増やすために、就活生に対して就活全般に対するアドバイスや相談も積極的にしていきたいです。リヴァのファンが増えるのは会社としてもうれしいし、別のご縁がつながるかもしれないですしね。
荻野 私はエンジニアとしてLACICRAの改善に取り組むのが最初の仕事になると思いますが、リヴァトレのスタッフとして復職や再就職の支援にも関わってみたいです。
なぜなら、就活を通じてエンジニアと福祉の両方について真剣に考えた結果、私はパソコンに向き合ってシステム開発をするのと同じくらい、人と接するのも好きだと気づいたからです。
現在のLACICRAは事業所の運営者向けの機能がメインですが、将来的には現場での知見も生かして、利用者向けのアプリケーションをつくれたら最高ですね。
――ありがとうございました。4月から頑張ってくださいね!
現在、リヴァでは2022年度入社予定の新卒・第二新卒を募集しています!
詳細については、こちらの採用ページをご覧ください。
1977年三重県生まれ。銀行→広告会社→うつ(リヴァトレ利用)→広告制作会社(現在)。消費者のためになった広告コンクール、新聞広告賞、宣伝会議賞等を受賞。一児の父。
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