双極性障害を抱える社員とサポートする上司 。互いに自分らしく働くために心掛けてきたこととは?【松浦秀俊/上司との対談 前編】

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株式会社リヴァで支援員として活躍する松浦秀俊(写真左)は、学生時代に発症して以来15年間、双極性障害Ⅱ型と付き合ってきました。以前は疾患の影響で短期間の転職を繰り返したこともありましたが、現職ではこれまでで最長となる約7年間、無事に働き続けることができています。さて、双極性障害を抱えながら安定的に働き続けるヒケツとは?松浦本人と、前職時代から彼の近くで働いてきた同社取締役の青木弘達(同右)が語り合いました。

上司の違和感で浮かんだ
双極性障害の可能性

―― 最初の出会いは?

松浦:青木さんとは前職(障がいのある方の就職支援をする会社)で一緒でした。私が2009年に入社してすぐ、Web担当として支援の現場で取材をしていた時に、初めて会いましたよね。

青木:よく覚えてるよ。僕は利用者さんやスタッフのケアを担当する人事として現場にいて、松浦さんと会った時は「テンションが高い人だな」っていう第一印象だった(笑)。

松浦:確かに入社当初はかなり元気でしたね。元々Webマーケティングの仕事をしていたこともあって、スキルを活かしながら働けることはもちろん、より良い社会づくりに貢献できる環境が嬉しかったんです。

―― 元気だった松浦さんが体調を崩してしまったのはどうしてですか?

松浦:うつ病を患っていることは隠して入社したものの、半年が過ぎた頃から症状が出始めて。Webサイトのリニューアルを担当することになったのですが、Webの知識は私と社長しか持っておらず、忙しそうな社長には相談できなくて、仕事を抱え込みました。同時に、住んでいた寮の引っ越しによって、古くて日当たりの悪いアパートに移ったことも追い打ちをかけて。隠し通したかったのですが、ついに限界が来て会社に行けなくなりました。

青木:その頃、伊藤さん(リヴァ代表の伊藤崇。前職でも同じ会社に所属、当時は松浦の上司)から「松浦さんが会社に来れなくなっていて、うつ病かもしれない」という話を聞きました。でも、入社当初のテンションの高さや、社内研修会の企画など活発な仕事ぶりを知っていたので、うつ病にしては落差があるなと違和感があって。

松浦:そうだったんですね。引きこもっているアパートへ様子を見に来てくれた時に、青木さんから双極性障害の可能性を指摘されました。

青木:過去に転職を繰り返していた経緯などを聞いたことで「双極性障害の典型的な例だ」と腑に落ちましたね。

松浦:その後、病院でも正式に双極性障害と診断され、自分の状態に合った病名を示してもらえたことで気持ちが楽になりました。

診断後に待っていたのは
まだ見ぬ「普通の」自分探し

―― 診断を受けて、何か変化はありましたか?

松浦:職場で疾病を開示したことで、無理せず働けるようになりました。一人暮らしを始めて環境も一転し、気分が落ち込むことはしばらくなかったのですが、入社して1年が経つ頃、状況が変わったんです。会社の成長に伴って社員数が増え、社員同士の関係が希薄になっていくことへ不安を感じていた時に、上司であった伊藤さんが退職することになって、また会社に行けなくなってしまいました。

青木:すぐに面談をして「退職するか、復職するか」の相談を受けたね。服薬だけでは対処が難しいと思いつつも、リワーク施設で認知行動療法を受けるように勧めることしかできなくて。人事として対応する限界を感じて、もどかしかったな。

松浦:私はとにかく人と関わりたくない状態で、勧められたリワーク施設には行けずに、2011年4月に退職をしました。

―― 退職して、リヴァトレ(当時はオムソーリ)に通うまでの経緯は?

松浦:辞めてすぐに伊藤さんから「農作業はうつに良いらしいよ」と、知り合いの農家さんの畑へ誘われました。1回目はドタキャンしたんですが(笑)、2回目も誘ってくれたので、行ってみたところ、青木さんとリワーク施設を開設しようとしている話を聞きました。後日、青木さんも交えた席で改めて利用を勧められ、「自分をよく知ってくれている2人の言うことなら」と、利用者第一号として通うことを決めました。

青木:初めは3人くらいしか利用者がいない手探り状態でしたが、人事として接していた頃とは違って松浦さんとの距離も近くなり、軽躁状態のサインに気づけるようになりました。SNSの投稿頻度が上がったなと思うと「更新しすぎじゃない?」と伝えたり。松浦さんとしては「調子の良い自分を抑える」という経験は初めだったと思うし、大変だったよね。

松浦:そうですね。いままで「元気」だと思っていた自分の状態は、実は「軽躁」なんだと受け入れなければならないことが苦しくて。自分の普通はどの状態のことなんだろうと悩みながら、SNSの更新を我慢したり、予定を入れすぎないように気をつけていました。

元上司から提案された
「リヴァで働く」という道

―― リヴァトレの利用中、退所後のことはどのように考えていたのですか?

松浦:自分で「利用期間は3か月」と宣言していたのですが、実際3か月目になると就職したり、独立したりする自信もなくなってきて。「いまさら退所できないとも言えない」と勝手に自分を追い込んで、通所せず、連絡も絶ってしまいました。1週間くらいして携帯の電源を入れたら、青木さんが「面談だけでもしにおいで」とメッセージをくれていて、会いにいったところ「リヴァで一緒に働く選択肢もあるよ」と言ってくれたんです。

青木:利用者ながらリヴァの広報を手伝ってくれていたことや、これまでの苦労が分かっていたこともあって、松浦さんのモチベーションになったらいいなと思って誘いました。(以降、利用者さんの中から数名がリヴァの社員になっていますが、リヴァからお誘いしたケースはありません。)

松浦:元々一緒に働けたらいいなという気持ちはあって、でも「事業の立ち上げ時期に人を雇うのは大変だから自分から頼んではいけない」と思っていました。それまで体調が悪くなると一方的に連絡を絶って退職することを繰り返してきたので、自分が関係を断とうとしているのに、手を差し伸べて必要としてくれたことが嬉しくて、泣いてしまいましたね。

青木:ただ優しさから誘ったのではなくて、僕の覚悟でもあったんです。リヴァとしてサービスを提供していくうえで、前職からよく知っている松浦さんが一緒に働けるくらい回復できない事業ならやっていく意味がないなと。ただ、一緒に働くなら疾病も含めて松浦さんをずっとサポートするよとも伝えました。

―― 実際にリヴァで働いてみてどうでしたか?

松浦:仕事のブランクが長かったこともあって、最初の頃は定時で働くのがやっと。残業をしないように気を付けるなど、頑張りすぎないコントロールをしていました。

青木:でも1年ぐらい経つと、資格を取ったり、活発に動いていたよね。

松浦:そうですね。2年目からは産業カウンセラーの資格を取るため、平日の仕事後に講座を受けたり、刺激の強そうなことに飛び込めるようになって。自分の軽躁の幅(刺激を受けたとしても気分が上がりすぎない範囲)を広げたいと年々チャレンジしていました。

青木:誘われて始めた支援職だけど、自分には合っていたと思う?

松浦:合っていましたね。共感しながら話を聞いて相手を理解していくことが好きで、元から感覚的にできていたことが大きいです。それまでは仕事を「努力して苦しんで結果を出していくもの」だと思っていたのですが、無理なくできることの量を増やしていくというコントロールができて、落ち込むことも減っていきました。

少しくらいつまずいてもいい
人生は何度でもやり直せる

―― そのまま仕事は順調に?

松浦:いえ、2016年に大きな出来事が重なってしまうんです。子どもが生まれたり、精神保健福祉士の通信教育を受講し始めたり、リーダーとして取り組んでいた新規プロジェクトも2年目を迎えいよいよ事業化・・という状況でした。そのまま1か月間育休を取ったのですが、家にいても取り組むべき課題で頭がいっぱいになってしまって。こんなくじけそうな自分が家族を養っていけるのかと落ち込み、育休明けに3日連続で会社に行けなくなりました。

青木:久しぶりに追い詰められていて「出社できない」と連絡が来たので「とりあえず話そう」と返信をして。僕は松浦さんが引きこもってしまった時期を知っているので「働きながらここまで色んなチャレンジをしたのだから、少しくらいつまずいても何てことない」と思いましたね。リヴァが何度でもチャレンジできる仕組みを提供したいと言っているのだから、松浦さんも何度でもやり直せるんじゃないかと伝えました。

松浦:そう言われたことで「いまできないことは手放して、できるようになったらもう一回挑戦しよう」と思えました。周りの目を気にして役目を降りたり、仕事の調整を頼んだりすることができなかったのですが、自分の体調を優先するべく、新規プロジェクトのリーダーを降りることにしました。日々の業務でも面談を担当する利用者さんの数は減ったのですが、得意だったグループワークのファシリテーターを続けられたことで、自信を失わずに仕事ができました。

―― 仕事量を調節して、体調は良くなっていったのですか?

松浦:良くなっていったのですが、半年後の2017年1月、担当していた新規プロジェクトの事業化を「採算が合わない」という理由で断念することになりまして。そのプロジェクトは私がリヴァでやりたいことの大半を占めていたので、目標を見失ってしまいました。

青木:仕事全体への意欲の減退を感じましたね。頑張ってきた分、反動が大きかったのでしょう。病院へ通い、薬の力を借りることを提案しました。

松浦:実は生命保険へ加入する条件のことがあって、少し受診をためらいました。過去5年の治療歴が無いことが条件で、あと数か月待てば、最後の通院から5年が経過するという状況だったのです。でも結局、青木さんや家族の後押しもあって、受診に踏み切りました。そうして「薬に頼ることも一つの手段だ」と思えるようになり、現在まで働き続けることができています。

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この記事を書いた人
菅野 智佐 株式会社リヴァ 2018年度入社

1996年福島県生まれ。山形大学を卒業後、新卒社員としてリヴァへ入社。「リヴァと関わったことで、自分らしい生き方について考えられた」という人を増やしたいと、リヴァマガの運営管理に携わっている。

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