仕事一筋の元教員が、2度の休職を経て、「暮らし」を人生の真ん中に置くまで ー30代男性・うつ病・双極症体験談【メンタル不調からのリライフストーリー】

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今回ご紹介するのは、教員を「天職」だと信じて疑わず、理想の教師像を追い求めていたさなか、うつ病や双極症の診断を受け、二度の休職を経験した、くっぺさんの体験談です。

「使えない奴だと思われたくない」。その一心で、期待に応えるために無理を重ねていたくっぺさん。しかし、度重なる休職と絶望のなかで、「完璧主義」を少しずつ手放していきました。

「休職期間は人生を再構築して、新たなステップへ進むための充電期間だった」

そう語るくっぺさんが、他者からの評価に縛られるのではなく、自分が面白いと思える人生を選択できるようになるまでの歩みを伺いました。

くっぺさん

フリーランス・主夫。教員として勤務する中で、うつ病・双極症の診断を受け、休職を2度経験。現在は「経験を価値に変える」をモットーに、「くっぺ@復職の人」として、またポッドキャスト番組『忙しい日々のセルフケア!復職ラジオ』の配信や、著書『休養の地図: “仕事一辺倒”だった僕がメンタルダウンから職場復帰した話』の執筆、リワーク施設での講演など幅広く活動している。

「使えない奴」だと思われたくなかった。
教職を天職と、信じて走り続けた日々

大学を卒業後、「学ぶ楽しさを伝えたい」という想いを胸に教員の道へ進みました。目指したのは、教科の知識を伝えるだけでなく、「この人の話なら聞いてみたい」と生徒に思ってもらえるような存在です。

最初の数年は、毎日が新鮮でした。教え方を少し工夫するだけで生徒の反応がよくなって、自分の成長も目に見えて分かる。

「自分が感じた教科の面白さをどう料理して届ければ、生徒たちが興味を持ってくれるだろうか」。平日20時まで残業をする日々でも、生徒の喜ぶ顔を想像しながら授業案を練る時間は、少しも苦ではありませんでした。

やがて生徒からも、「先生の授業、面白い」「卒業したけれど、あの時のノートをまだ持っているよ」と言ってもらえるように。学ぶ楽しさが伝わっているという実感がやりがいとなり、教員は自分にとっての天職なのだと、誇らしく感じていました。

しかし4、5年が過ぎると、初期のような右肩上がりの手ごたえは得にくくなっていきました。目に見える成長が止まったことに焦り、私は「もっと、もっと頑張らなければ」と自分を追い込んでいったのです。

根底にあったのは、「使えない奴だとがっかりされたくない」という恐怖心

職場では、他の先生の評判がどうしても耳に入ってきます。「あの先生は仕事の段取りが悪い」「担任があの人だったら嫌だ」。同僚や生徒たちの冷ややかな声を聞くたび、期待に応え続けられなければ自分の価値がなくなるのではと、怯えていました。

完璧を目指さなければと余裕をなくすほど、自分にも周囲にも厳しくなり、イライラする日々。当時の日記を読み返すと、毎日が本当に苦しそうでした。

週末の飲み会は唯一の息抜きでしたが、話題は結局仕事のことばかり。周りから「熱心だね」と褒められることで、疲れも「頑張っている証拠」のように感じ、無理をしている自覚はありませんでした。

プライベートでは、子どもがちょうど2歳に。休日は部活動に捧げ、家事は妻に任せきり。その分、仕事で家庭を支えていかなければならないというプレッシャーも重なり、心が限界を迎えていたのだと思います。

明らかな異変が現れたのは、教員になって5年目のある日。朝出勤すると、急に涙が出ました。授業の準備をしなきゃと思うのに、どうしても仕事が手につかない。

急いで心療内科を受診すると、医師からは「軽いうつ状態」という診断が。とても働ける状態ではなく、そのまま休みに入ることになりました。

「双極症」と知って、ようやく自分を許せた
病気を受け入れ、自信をもって復職へ

休んだのもつかの間、生徒を卒業まで見守りたかった私は、わずか2週間で復帰しました。

「みんな忙しいのに自分だけ休めない」という罪悪感から重ねた無理は、長くは続きません。

処方薬で自分を誤魔化しながら働き続けて3か月。次第に、自力ではコントロールできない激しい気分の波に振り回されるようになっていきました。

「自分はもうだめだ」と涙する日もあれば、自信が湧いて何でもできるように感じる日もある。夜中に仕事のアイデアがあふれて眠れなくなったり、無理に人と会う予定を詰め込んでしまったり。

まともに働けるはずもなく、授業の時間を忘れるといったミスを連発。強いうつ状態に陥り、仕事は全く手につきませんでした。

生徒にとっても、このままの自分で教壇に立ち続けることは良くない。そう痛感し、休職せざるを得なかったのです。

まずは病気休暇を使って半年休みましたが、申し訳なさから泣いてばかりで、とても休める状態ではありませんでした。

将来の仕事やお金、家族への負担。焦りばかりが募るのに、同僚や生徒に会うのが怖くて外にも出られない。職場に近づくだけで涙が出るほど、心は限界を迎えていました。

とても復職できる状態ではなく、さらに1年間の休職へ。この時、出口の見えない状況を打破したくて、病院を変える決断をしました。

新たな主治医から告げられた病名は「双極症」。ずっと苦しかった原因は性格ではなく、病気にあった。診断名がついたことで、ようやく自分を許せた気がしました。

「職場に迷惑をかけた事実は変えられない。ならば今は1日1日を大切にして、元気に復帰することだけを目指そう」と、少しずつ前を向けるようになったのです。

本が読めなければ、読み慣れた漫画を手に取る。今の自分にできることを一つずつ見つけていきました。主治医に勧められた書籍でセルフケアを学び、リワークも活用。不安への対処法を身につけ、生活リズムを整えることに専念しました。

「やれることはやった。自分はもう大丈夫」。すがすがしい気持ちで、復職の日を迎えました。

復職して、すぐに再休職
二度目は希望も、居場所もなかった

2019年4月、桜が咲く中、久しぶりに職場へ。自信満々だったはずが、足を踏み入れた途端、強い不安に襲われました。得意だったはずの授業でも緊張し、生徒の視線が気になって黒板に文字を書く手が震えて止まらない。

休職中に決めていた「早めに人に相談する」という対処法を試すと、同僚は優しく話を聞いてくれました。でも、忙しい中で笑顔を絶やさず働く同僚や、自分より若い先生の活躍を目の当たりにすると、「自分は最低限の仕事すらできていない」という引け目を感じ、不安は強くなるばかり。

生徒の前に立つこと自体が怖くなり、わずか1ヶ月後、ゴールデンウィーク明けに再び休職することになりました。

1回目の休職は「治ればまた働ける」という希望がありましたが、今回は違いました。「あれだけ準備してもダメなら、これ以上頑張っても無駄なんじゃないか」と、先が見えず、来る日も来る日も自室で寝て過ごす日々。

投げやりな態度の私と家族の間には、次第に衝突が増えていきました。職場にも戻れず、家にも居場所がない。自分の価値を完全に見失っていました。

そんな私の転機となったのは、2020年の新型コロナウイルスの流行です。一斉休校や、未知の病による著名人の死。呆然とテレビのニュースを眺めながら「このまま苦しい思い出ばかりで人生が終わるのは嫌だ」と、心の底から思ったんです。

まず、目の前のできることをやろうとはじめたのが「家事」でした。家族のご飯を作り、皿を洗い、買い出しに行く。簡単な料理でしたが、妻や子どもが喜んでくれる姿を見て、生きている価値がないと思っていた自分でも「誰かの役に立てる」と思える日が増えました。

リワークにも再び通い、なぜ休職することになったのかを振り返りました。まだ起きていない未来をネガティブに想像しすぎること、そして仕事とプライベートのオンオフが全く切り替えられなかったこと。この2つが、私の心をすり減らしていた根本的な原因だと気づきました。

この原因と向き合う練習として役に立ったのが、家事や趣味の時間でした。

目の前の作業に集中している間は、先の見えない漠然とした不安から距離を置くことができる。はじめはゲームすらできない状態でしたが、YouTubeのゲーム実況を見るところから始め、次第に自分でも楽しめるように。カフェで過ごす時間も意識的に増やし、「仕事以外の自分の時間」を休職中から大切にしていました。

生活が整うにつれ、私の中に新しい優先順位が生まれました。第一に自分の健康、第二に家族の笑顔、その基盤があってはじめて仕事がある。暮らしを大切にする「間(ま)」を取る感覚を身につけたことで、前向きな気持ちが生まれてきたのです。

転職も検討しましたが、まずは今の職場で「1日でも長く働いて自信を取り戻すこと」を目標にしました。そして、1年8ヶ月の休職を経て、私は二度目の復職を決意しました。

先の見えない不安は、いったん保留
目の前の生活の中で、まずできることを

復職にあたっては、職場に相談して働き方を調整してもらいました。土日の部活動は担当しない。定時は17時ですが、体調が怪しいと感じたら16時に退勤させてもらうことも。体調が優れず、どうしても仕事を休んでしまう日もありました。

以前の私なら「休んでしまった、もうダメだ」と自分を責めていたでしょう。けれど、そんな日こそ休職中に試行錯誤して見つけたセルフケアを実行しました。

仕事のスイッチを切って今日の夕飯づくりに専念する、お風呂にゆっくり浸かってぼーっとする。それでも無理なら、「今日は降伏」と潔く諦めて、しっかり寝る。

土曜日は家族との時間を最優先し、日曜日はお気に入りのカフェで一人、のんびりと過ごす。教師でもなく、父親でもない、「ただの自分」に戻れる時間を欠かさず作っていました。

全部60点でいい。仕事が40点しかできなかったなと思っても、お皿洗ったら10点追加、お風呂も入れたから10点追加と、休職中に学んだスキーマ療法※というものを活かして、完璧主義な自分とも向き合っていきました。
※生きづらさの根っこにある価値観や認知に気付き、それらを手放すことを目指す心理療法

ただ、自分がやらない分の仕事のしわ寄せは同僚にいくのが現実です。やりがいを持ってバリバリ働く同僚や、成長著しい後輩の姿を横目に、申し訳なさと、何とも言えない寂しさを感じていました。

「家庭を大切にするんだ」と自分に言い聞かせても、かつてのような仕事での貢献感は得られません。以前の私なら、この居心地の悪さに耐えられず、焦って無理を重ねるか、あるいは「もう辞めるしかない」と極端な結論を出していたはずです。

そんな私を支えてくれたのが、休職中に出会った「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方でした。

「どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことで、急いで答えを出さず、結論に飛びつかず、宙ぶらりんで不確かな状態のまま踏みとどまるようなイメージです。

「やりがいを感じられないから辞めるべきか」「迷惑をかけるから身を引くべきか」。そうやって白黒つけようとするのを、一度やめてみました。申し訳なさを抱えたまま、でも「今はこれでいい」と、自分を宙ぶらりんの状態に置いておく。

「今の自分にできるのは、とりあえず保留にして、今日一日を丁寧に過ごすこと」。その耐える時間があったからこそ、少しずつ、自分に馴染む働き方が見えてきたのだと感じています。

そうして1年が経った新年度の4月、すごく印象的なことがありました。 廊下ですれ違った去年の教え子が「先生、ヤッホー」と気さくに声をかけてくれたんです。

些細なことでしたが、「この先もやっていけるのかな」と不安になっていた自分にとっては、「自分にもだんだんと居場所ができてきたのかな」とほっとする出来事でした。

収入も安定し、生活の基盤も整ってきた。「ああ、戻ってきてよかったな」と、噛みしめるように思ったのを今でも覚えています。

「正解よりも、失敗を重ねていきたい」
評価を手放して見つけた、新たな生き方

復職して約4年。配慮をいただきながら働き続けることの難しさと向き合い、悩み抜いた末に、私は教員を辞める決断をしました。

職場への後ろめたさや、フルタイムを辞める「足元がぐらつく怖さ」はもちろんありました。それでも、教員以外の形で「自分の経験を誰かの価値に変える」という新しい生き方に、挑戦してみたかったんです。

現在は、主夫として日々家族においしいご飯を作り、セルフケアを続けながら、いくつかの仕事を掛け持ちしています。

「くっぺ」としての発信を続けながら、最近では講演に呼んでいただく機会も増えました。休職期間や復帰後を本人だけではなく、チームで支え合られるように、きれいごとではないリアルな経験を伝えていければと思っています。

この「くっぺ」としての活動は、いったん3年という区切りで考えています。1年目は医療・福祉の方と対話を重ね、2年目は活動を広げる。

そして3年目には、これまで得た学びを教育現場にお返ししたい。教壇を離れた今の私だからこそできる形で、忙しく働く先生方の力になる。そんな夢をひそかに持っています。

もちろん、活動に熱が入りすぎて「仕事一辺倒」になっては本末転倒。だからこそ、今でも読書や映画、デイキャンプ、餃子パーティーといった「暮らしを楽しむ時間」を何より大切にしています。

すぐに結果が出なくてもいい。やってみたいことを試しながら打席に立ち続けていると、時間はかかりますが、「お話を聞かせてほしい」と声をかけてもらえたり、温かい言葉をいただけたりするものです。

他者からの評価を手放し、遊び心を持って「自分の面白いと思う基準」で試行錯誤する。そんな今の生き方が、私はとても気に入っています。

くっぺさんからのメッセージ

焦って結論に飛びつかず、自分を助ける「試行錯誤」を

休職期間を振り返ると、私にとって生き方を再構築するための大切な「充電期間」でした。ただ職場に戻ることをゴールにするのではなく、この先どう生きていくかを整えられたことが、何よりの収穫だったと思っています。

だからこそ、いま休職中でご自身の不調と向き合っている方は 「復職か、退職か」といった大きな結論に、どうか焦って飛びつかないでください。

まずは大きな悩みと向き合うためのエネルギーを貯めるために、日々のセルフケアを「地道な練習」としてやってみてほしいのです。

元気になりたいけれど、そもそも「元気になるための元気」すら残っていないかもしれない。

だからこそ、まずは徹底的に休み、そこからだんだんとベッドでもできるようなことから始めてみるのがおすすめです。YouTubeを耳で聴いてもいいかもしれないし、漫画を読んだり、スマホでゲームをしたりしてもいい。

そうして少しずつ心地いい時間を増やしていく試行錯誤は、復帰後のあなたの助けになってくれるはずです。

まずは無料パンフレットをご覧ください

リヴァトレは、うつなどのメンタル不調でお悩みの方の復職・再就職をサポートするリワークサービスです。

復帰に向けて行う取り組みについて、無料パンフレットでわかりやすくご紹介しています。

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この記事を書いた人
菅野智佐

株式会社リヴァ ブランディング部

1996年福島県生まれ。山形大学を卒業後、18卒として(株)リヴァへ入社。ラシクラ事業部・新卒採用の責任者を兼任しながら、新規事業「あそびの大学」の立ち上げに至る。自分らしいと感じる瞬間は「物事の背景を探求している時」。趣味は、DIYと金継ぎ。

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この記事の監修
四谷 健太郎
株式会社リヴァ リヴァトレ事業部 生活支援員 臨床心理士/公認心理師

1985年東京都生まれ。
世田谷区の教育相談員→民間企業の治験コーディネーターを経て、2021年に株式会社リヴァに入社。

森田療法を基にした相談支援を行っている。趣味はコーヒーのハンドドリップ。

 

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