戦う場所は、自分で選べる。休職した元エリート自衛官が、働く喜びを取り戻すまで ー40代男性・うつ病体験談【メンタル不調からのリライフストーリー】

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今回ご紹介するのは、幹部自衛官として順調にキャリアを歩んでいたさなか、メンタルダウンで休職を余儀なくされた、わびさんの体験談です。

自衛隊を指揮する立場として、順調にキャリアを重ねていたわびさん。しかしある日、激務と上司からのパワハラが重なり、職場で机の下に潜り込み、泣き叫ぶほどの限界を迎えてしまいます。

積み上げてきたキャリアの中断、そして休職。 そこから彼はどのようにして前を向き、外資系企業への転職という新たな道を切り拓いたのか。

「休職する前の自分に戻れたわけではありません。でも、あの頃よりもずっと生きやすい」

そう語るわびさんが、"組織のため"ではなく、"自分のため"の人生を取り戻すまでの歩みを伺いました。

わびさん

会社員・元自衛官。著書『メンタルダウンで地獄を見た元エリート幹部自衛官が語る この世を生き抜く最強の技術』 『人生から逃げない戦い方 メンタルダウンから生き延びた元幹部自衛官が語るユル賢い生存戦略』 『元幹部自衛官が教える メンタルが壊れない23の習慣』など。自衛官時代にメンタルダウン・休職を経験し、市役所・外資系企業などに転職。現在も会社員として勤務する傍ら、X(@Japanese_hare)にて20万人以上のフォロワーに向けて、心の守り方や仕事観についての発信を続けている。

「上司が厳しいのは、自分の努力不足」
パワハラと激務に耐え続け、迎えた限界

陸上自衛隊と聞くと、過酷な身体訓練をイメージされるかもしれませんが、私の任務は少し違いました。

幹部候補生学校を卒業し、入隊当初から小部隊を統率する「幹部自衛官」としてキャリアをスタートしたためです。

主な仕事は、隊員の訓練計画の作成や会議資料の準備といったデスクワーク。環境は一般企業とさほど変わりません。

自分が立てた計画によって、チームの動きが変わり、部隊の結束力が高まっていく。 士気の高い隊員たちと共に、一体感を持って任務にあたることに、やりがいを感じていました。

「自分にはこの仕事しかない」 。そう思って仕事に打ち込むうちに、大規模な訓練や新規事業など幅広い業務を任されるようになり、成績優秀者として表彰もされました。 激務ではありましたが、短期間で多くの経験を積み、周囲からも一目置かれる存在だという自信も。

プライベートでも結婚し、双子を授かり、公私ともに順風満帆。 入隊から6、7年が経ち、まさに明るい未来しか見えていない時期でした。

「妻の実家の近くなら、子育てもしやすくなるだろう」。そんな家族への思いから、私は駐屯地への異動を希望しました。

しかし、異動先で待っていたのは、想像を絶する環境でした。 朝5時過ぎには出社し、帰宅は深夜。土日もどちらかは必ず出勤しなければ回らないほどの激務。

そこに追い打ちをかけたのが、直属の上司によるパワハラでした。 報告や相談をしようにも後回しにされ、夜になってようやく捕まると、今度は提出物すべてに言いがかりをつけられる。部署全員の前での人格否定や、家族のことまで悪く言われることもありました。

仕事をしていない時でさえ、上司の罵声が脳内で再生されるほど追い詰められていたのです。

今でこそ自衛隊の環境も大きく変わったと聞きますが、これは10年以上前の話。当時は「厳しくて当たり前」という風潮が色濃く残っていました。

それまでの人間関係が良好だったこともあり、私は違和感を抱くどころか、「上司が厳しいのは自分の努力不足だ」「頑張っていればいつか分かってもらえる」という淡い希望にしがみついてしまったのです。

妻が子育てに追われている中でも、手助けする余裕などありません。休める場所もなく、ひたすら自分を削り続ける日々。 そうして1年ほど耐え続けたある日、ついに限界が訪れました。

職場で突然叫び声を上げ、自分の机の下に潜り込んだのです。 そのまま病院へ運ばれましたが、私にはその日の記憶がほとんどありません。

「うつ病」と診断され、 私は休職することになりました。

罪悪感から、生きているのが嫌に
復職しても続く、元に戻れないみじめさ

その頃は弱りきっていたので、休職という事実にもショックを受ける気力もなく、「ああ、そうですか」と、他人事のように感じていました。

一日中、部屋にこもり、風呂にも入らず、歯も磨かない。たまに上司の罵声を思い出しては、薬を飲んで寝る。その繰り返しです。

頭の中は「申し訳ない」という罪悪感でいっぱいでした。 職場への迷惑、情けない父親であることへの絶望、そして育ててくれた両親への引け目。

何も変わらないまま1ヶ月が過ぎ、医師から実家での療養を勧められました。 これまでは妻や子どもと楽しく帰省していた故郷。しかしこの時は違いました。空港に降り立った瞬間、「故郷で死のう」と、思ったのです。

実家に着くなりジャージに着替え、母に「走りに行ってくる」とだけ告げて外へ出ました。 死に場所を探すように、30年近く過ごした故郷の景色の中、過去の記憶をグルグルと巡らせながら走り続ける。 気がつけば、7時間も経っていました。

楽しかった記憶も含め、歩んできた人生は決して悪くなかった。過去を辿るうちに、「もう少し様子を見てみるか」という諦めに似た、自分を許すような感情が芽生えたのです。

いきなり前向きになったわけではありません。心がフラットになり、落ち着きを取り戻したことで、止まっていた時間がようやく動き始めました。

そこから復職に向けて動き出したものの、道のりは険しいものでした。 最初は服を着替えることすら億劫で、玄関のドアが開けられない日も。職場に向かっては引き返すことを繰り返し、通勤ができるようになるまで3週間もかかりました。

ようやく職場に戻れたものの、任されたのは簡単な書類整理ばかり。 「幹部自衛官である自分がなぜこんなことをしているのか」というみじめさと、周囲からの「メンタルをやられてしまった人」という、腫れ物に触るような扱い。

居場所を見失った私は、復職から間もなくして、二度目の休職に入ってしまいました。

出世だけが正解じゃない
「こうあるべき」を壊してくれた出会い

二度目の休職を経て、別の駐屯地へ異動しました。「左遷されたのかもしれない」という不安を抱える中、一人の自衛官との出会いが、人生を好転させるきっかけになります。

その方は、定年間近で豊富な知識と経験を持っているものの、出世コースとは無縁な階級の方。エリートを自負していた頃の私なら、目に留めることもなかったと思います。

上司に媚びず、組織に必要なことを考え、真っ直ぐに伝える。裏表のない振る舞いは、私に対しても同じでした。周囲が私を「腫れ物」として扱う中、この自衛官だけは対等な「幹部自衛官」として接してくれたんです。

私はそれまで「組織の評価こそが価値」だと信じ、自分を押し殺して生きてきました。だからこそ、階級に縛られず誇りを持って働く姿は、清々しく映りました。

「上を目指すことだけが正解じゃない。こういう人生もあっていいんだ」。 そう気づいたとき、心がふっと軽くなったんです。

その後、次第に体調は上向き、欠勤も減っていきました。 教官として教壇に立つなど、幹部自衛官としての自負を持てる役割も増えるように。

誰にでもできる事務作業ではなく、自分のポジションにあった仕事を一つずつ完遂する。この小さな達成感の積み重ねが、失っていた自信を少しずつ取り戻してくれました。

決定的だったのは、熊本地震での災害派遣です。 「恩返しがしたい」と自ら志願し、司令部の一員として被災地へ向かいました。熊本は、かつて自衛官として最も充実感を持って働いていた思い出の地。縁ある場所で誰かの役に立てたこと、そして何より、体調を崩さずに任務を最後まで無事にやり遂げられた経験は、大きな力となりました。

一方で、拭いきれない現実にも直面します。一度組織内でついた「メンタルダウンした人」というレッテルは、簡単には消えません。個人の努力だけでは払拭できない限界を感じました。

過去の影や周囲におびえるくらいなら、いっそ環境を変えてみてもいいのではないか。そう思い、メンタルダウンをしてから約三年後、転職を決断しました。

安定はゴールではなかった
「誰かのために、もっと頑張りたい」

転職先は、妻の実家に近い市役所を選びました。

自衛隊時代とは真逆の、定時で帰れる穏やかな日々。 心身がまだ本調子ではなかった私にとって、最初はありがたい環境でした。

しかし、一年ほどが経ち、仕事に慣れるにつれ、穏やかすぎる環境がかえって物足りなく感じるようになったのです。

「自分はもっと、誰かの役に立てるのではないか」

贅沢な悩みかもしれません。それでも、かつての自衛官として現場で感じた使命感や確かな手ごたえが忘れられませんでした。

同時に、特定の組織に依存することへの恐怖もありました。どんなに安定した職場でも、パワハラ気質な人間が一人加われば、環境は激変してしまう。

「また働けなくなったら、家族を養えない」。消えない不安を抱える中で、副業という選択肢が世の中に浸透し始めていました。自分と同じ苦しみを誰にも味わわせたくない。そんな願いも相まって、自身の経験を糧にSNSでの発信を始めました。

自分の能力を最大限に発揮できる環境を探すべく、転職活動もスタート。市役所を1年半で退職し、国レベルの課題解決をミッションに掲げる外資系企業へ転職しました。

「逃げる時」と「戦う時」を見極める
しなやかな強さを武器に

多忙な日々を送る今、私は一度も体調を崩さずに働けています。

理由は明確で、自衛隊時代からの「人の役に立ちたい」という願いを、叶えられているからです。社会の課題解決に貢献できているという手応えや必要とされている実感は、何よりの支えになっています。

働くスタンスも一変しました。会社に忠誠を誓うのではなく、自らの「職務」に対して責任を果たす。そう割り切っています。

そのためにも、優先順位の付け方は徹底。全ての業務が等しく重要なわけではありません。本当に大切な仕事は全体の三割程度。そこだけは完璧を目指し、残りは六十点の出来で良しとする。自分を追い詰めないための、大切な心持ちです。

人間関係も仕事が円滑に回れば十分で、他人に好かれようとしたり、評価を気にして顔色を窺うことはやめました。パワハラ上司に一喜一憂していた自分は、もういません。

今の上司とお世辞にも相性がいいとは言えませんが、必要な報告や相談は淡々とこなす。合わない相手とは適切な距離を保つこともできるようになりました。

世の中には「逃げていい」という言葉が溢れています。でも私は、メンタルダウンを経験したからといって、常に無理を避けるのが正解だとは思いません。自分を壊してまで耐える必要はありませんが、逃げ続けることもまた、別のしんどさを伴うからです。

本当に大切なものを守るためには、戦うことも必要。

私にとっての「戦う理由」は、人の役に立っている実感や家族、そして趣味や推し活の時間です。それらを守るためなら、時には歯を食いしばる。振り返れば、戦ってよかったと思えることはたくさんあります。

大切なものから目を背けず、逃げ時と戦い時を見極める。これからもそんな「しなやかな強さ」を大事にしていきたいです。

無理に「元の自分」へ戻らなくていい。
わびさんから読者の皆さんへのメッセージ

私は長い間、メンタルダウンしたことを「消したい過去」や「恥ずべき傷」のように感じていました。

しかし今では、あの経験が自分を成長させてくれたのだと感じています。

「元気だった頃の自分に戻らなきゃ」と焦ってしまう気持ちは、痛いほど分かります。 でも、無理に戻ろうとしなくていい。今の私は、昔の自分とは違うけれど、あの頃よりもずっと生きやすいと感じています。

私がお伝えしたことは、正解ではありません。人生や仕事への向き合い方は人それぞれです。だからこそ、いろいろな人の生き方を拾い集めながら、あなただけの「戦い方」を見つけていってほしいと思います。

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この記事を書いた人
菅野智佐

株式会社リヴァ ブランディング部

1996年福島県生まれ。山形大学を卒業後、18卒として(株)リヴァへ入社。ラシクラ事業部・新卒採用の責任者を兼任しながら、新規事業「あそびの大学」の立ち上げに至る。自分らしいと感じる瞬間は「物事の背景を探求している時」。趣味は、DIYと金継ぎ。

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