リヴァは2023年4月、新卒社員として大澤舜(多摩大学経営情報学部出身)を新たに迎え入れることとなりました。そこで今回は、彼が学生時代に力を入れたことや、リヴァの選考で印象に残っていること、入社後の抱負などについて聞きました。
目次
ゼミ長にチャレンジ
一人ひとりが主体的に動ける組織を目指して
――大澤さんは学生時代、どんなことに熱中していましたか?
事業開発を学べるゼミでの活動です。3種類の事業部があり、僕は20人ほどのメンバーで活動する「スーパー事業部」に所属し、東京都の奥多摩町という地域の活性化に向けて新たなコミュニティ作りに挑戦しました。具体的には、町民や町役場の職員方と連携し、空き家を利用して、住民や観光客など町に関わる全ての方に役立つ施設づくりに取り組んでいたんです。
ゼミには大学2年生の時から所属し、3年生になってからはゼミ長とスーパー事業部長に立候補しました。所属している学生一人ひとりが、自分の力を発揮できるよう組織運営に努めていましたね。その時までリーダーを担った経験は一切なく、僕にとって大きなチャレンジでした。
――ゼミ長、事業部長に立候補したきっかけは何だったのでしょうか?
きっかけは二つあります。
一つ目は、ゼミの運営方法に課題を感じていたからです。僕が立候補する前は、3つの事業部制での取り組みが始まったばかりで、ルールも明確でなく、組織が不安定な状態でした。そのため、一部の主体的に動けるメンバーに仕事や情報が一極集中し負担が重なっていたのです。仕事や情報が得られないメンバーも多く、彼らの活動意欲も下がっていて……。僕は奥多摩の自然や住民と関わり、フィールドワークができるゼミでの活動が好きだったので、「一人ひとりがやる気を持ち、力を発揮できる環境をつくりたい」と、ゼミ長、事業部長に立候補しました。
二つ目は、新しいことに挑戦をしたかったからです。実は幼少期からずっと空手一筋で、大学でも体育会の空手部に所属するつもりでした。しかし将来を見据えた際に、スポーツの技術を仕事に活かすイメージが持てず…。大学では今までとは異なるフィールドで活動したいと考え、ゼミ長、事業部長にチャレンジしました。組織のリーダーを担うことで、仕事に必要な学びをより多く得られるかなと思ったからですね。
――なるほど。ゼミ長、事業部長としての活動はどうでしたか?
課題となっていた、仕事や情報の一極集中を克服するために、役割分担と報連相のルール作りを徹底しました。例えば、奥多摩町の飲食店と、町の交流施設で提供するお惣菜の共同開発に挑戦したときは、プロモーション担当や渉外担当などと、細かく業務分担を行い、それぞれにリーダーを配置しました。さらに、各チームには定期的に活動の進捗報告や振り返りをしてもらい、全員が活動の状況を把握できる機会を設けたんです。この結果、飲食店のスタッフとのまめな連絡や、商品のアイデアの提案など、受け身だったゼミ生が積極的に活動する様子が見られ、惣菜の開発にも成功。担当教授にも「大澤さんらの活躍で、主体的に動けるメンバーが増えた」と言ってもらえたことも嬉しかったです。
――組織の体質改善が上手くいったんですね。
そうですね。ただ、全員がやる気を持って力を発揮できたとは言えず、悔しい気持ちもあります。確かに、自分で考えて動ける人は増えたのですが、大半はチームリーダーで、他のメンバーは仕事が振られるまで待っていることも多かったんです。
中には、奥多摩町の住民や役場職員と話したことがなく、町の現状について具体的に知ることができなかったメンバーもいたので、当事者意識を持ちにくい状況だったのだと思います。まずは全員が現地を訪ねる機会をつくり、自分の担っている仕事が、実際にどのように地域に影響を与えているのかを見たり、聞いたりすることで、活動の意義や各役割の目的をもっと丁寧に共有できればよかったかもしれません。
こういった気づきはぜひリヴァに入社してからチーム運営をする機会があれば、活かしていきたいです。メンバー全員が当事者意識を持つために工夫できたことはたくさんあったなと思います。
「世の中の理不尽を取り除く」
リヴァでなら実現できると思えた
――では次に、就職活動について聞かせてください。
僕の目標は「世の中の理不尽を取り除き、すべての人が自分らしく生きる世界をつくること」です。その目標を実現できるような会社を受けていました。
――この目標を持つようになったきっかけは?
大学入学後に始めた、倉庫で宅配物の仕分けや運搬をする派遣バイトです。そこでは、アルバイト間で喧嘩が多々発生していました。例えば、業務に追われてイライラしている方が、作業が遅れてしまっている方を標的にして「早くやれよ」と怒鳴りつけたり、仕事を押し付けたり。その結果、気分を害し早退してしまった方、休職してしまった方もいました。みんなが気持ちよく働けるようになったらいいなと思い、喧嘩の仲裁に入ったこともあったのですが、話を聞いてもらえず状況は変わらないままで。他のバイト仲間や社員さんもこの環境を変えることを諦めていたので、誰かを頼ることも難しくどうすることもできない状況に悶々としていました。
このような経験から、「理不尽を取り除き、皆が心に余裕を持てる環境を作り、自分らしく過ごせる人を増やしたい」という気持ちが強まり、ビジネスを通じて実現させたいと思うようになったんです。利益を出せれば、目指したい社会を持続的に作ることができるので。
そこで、自分の想いとマッチしそうな企業を探す中で、登録していた就活サイトでリヴァからスカウトが届きました。
――なるほど。実際にリヴァの選考を受けてみて、どのような印象を受けましたか?
「自分らしく生きるためのインフラをつくる」というビジョンに強く共感しましたし、実は会社説明会に参加した時点で、「この会社で働きたい!」と一目惚れしていました(笑)。
説明会では、代表の伊藤さんや入社5年目で新規事業を立ち上げた菅野さんと直接話し、20代のうちから新規事業のような裁量権のある業務に携われるという、年齢や経験の有無を問わず挑戦できる環境にも魅力を感じました。
――大澤さんにとって、とても充実した説明会だったように聞こえます。その後の選考で印象的だったことはなんでしたか?
どの選考フローでも、社員の皆さんが本気で僕に向き合ってくださっていたことが印象的でした。例えば、一次面接では代表の伊藤さんがゼミでの経験や就活の軸について、僕が想像もつかなかった視点から深掘りしてくれたんです。また、逆質問の時間も他に受けていた会社よりも長かった実感があります。最終選考で「リヴァでチャレンジしてみたいこと」をテーマにプレゼンをする際も、準備段階で菅野さんが事業の考え方や提案方法について丁寧にアドバイスをくださり、選考の全過程で安心感を感じられました。
自分らしく働ける環境を見つけた
本人が語る「就活のコツ」
――入社後はどのような仕事を行うのでしょうか?
入社1年目はリヴァのコア事業である「リヴァトレ」のスタッフとして働きます。リヴァトレは現在、東京(以下、リヴァトレ東京)と仙台の2都市に拠点があり、僕は仙台センター(以下、リヴァトレ仙台)への配属となりました。うつ病などの精神疾患で休職・離職されている方の社会復帰をサポートする支援員として基礎的な業務スキルを学びつつ、新規事業開発のノウハウを得たいと思っています。
福祉に関する知識や経験がなく、かつ馴染みのある首都圏を離れて仕事をすることにも正直、不安はありました。しかし、代表の伊藤さんや東北地区の事業リーダーの吉田さんも定期的に相談乗ってくださりましたし、何よりリヴァのコア事業に直接関わることで、事業を立ち上げる上で役立つ知識や経験が得られるのではないかと考えており、今はとてもワクワクしています。
――今年(2023年)の1月から既にインターンを始めていますよね。
そうですね、現在はサービスを理解するための期間として、リヴァトレ東京の都内全4センターを順番に回り、利用者さんに提供している支援プログラムの見学や体験をしています。利用者さんがしっかりと活動に取り組めるように、スタッフ同士で一人ひとりの支援状況について細かく話し合う時間を設けていたことが印象的でした。選考を受けていたときとリヴァのイメージも変わらず、安心して働くことができています。
インターンを通じてたくさんのスタッフと関わり、支援のノウハウをたくさん吸収することで、4月からの仙台での仕事に弾みをつけていきたいです。
――最後に、現在就活を頑張っている学生の皆さんにエールを!
僕は、一緒に働く人や社風が「将来、自分がなりたい姿」とマッチするかを考えて働く会社を選ぶことが大事だと思っています。
将来の夢や目標は漠然としていても大丈夫です。僕もまだ、具体的にどのようにして「世の中の理不尽を取り除き、すべての人が自分らしく生きる世界をつくる」という目標を達成していくかは決まっていません。しかし、このような目標が一つあったおかげで、率直に「働きたい」と思える会社を選ぶことができました。少しでも目指したい地点が見えていれば、そこに向かうために自分らしく働けると感じられる会社は見つかると思っています。
皆さんの就活が上手くいくことを願っています!
――ありがとうございました!
株式会社リヴァ 2022年度入社
1998年生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、新卒でリヴァへ入社。LIVA MAGAのライターを担いながら、採用や経理業務に従事。好きなことは旅行やコーヒー、カメラ。